だめのブログ

丸山道慶が書いています

179年5月神殿講話 熊本地震といんねんとお道具のご守護

 ただいま結構に5月の月次祭のおつとめを、鳴り物の調べも結構に、てをどりの手も揃ってつとめさせていただきました。
 誠にありがとうございます。神殿講話をつとめさせていただきます。
 
 先月は当教会の春の大祭で、大教会役員先生から講話を頂戴しまして、たくさんお話いただきましてので、今月は少し短めにしようかと思います。
 今月は大教会の仕切り月です。5月と10月に、みなさまのご真実をおぢばに御供えさせていただこうと、例年のことでもありますが、今年も大教会長様からお声を頂戴しまして、皆様にもお伝えさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。


熊本地震
 4月に大きな地震がまた九州地方でありました。
 14日の晩だったと思うのですが、震度7ということで大変おどろきました。
 ただ、さすが阿蘇山のふもとの地域だけあって、現地の方々は比較的落ち着いて対応なされているんじゃないかと、まあ遠方ですので私は感じていたのですが、まさかその後にもう一度、本震と言われる大きな地震が来たのは驚きました。
 熊本市直下ですので非常に大きな被害になりまして、今なお復旧復興ということで避難されている方が多くいらっしゃいます。

 私たちもお道の信仰者ですから、おたすけの上からも何かしなくてはと思います。今のこのおつとめも、被災地の方に助かってもらいたい、早く復旧が進めばいいと思いながらつとめさせていただきました。かといって現地に行ってなにかお手伝いすることもままなりません。
 天理教の動きを見ますと、すでに災害救援ひのきしん隊が現地でおたすけ活動を展開されています。ホームページなどを確認しますと、熊本教区、福岡教区、鹿児島教区、宮崎教区、奈良教区、おやさと教区から災救隊が4月18日、19日からすでに復旧活動をしてくださっています。
 一番大きな揺れを計測した益城町に入っているようです。
 
 天理教の災救隊はただのボランティア集団じゃないというお話を以前しました。それは設備もきちんと整っていて、それから全国の都道府県単位、今回で言えば熊本教区や大分教区など、地元で長年、地域の方々のための活動を展開してきているその母体がありますので、すぐに自治体と連携が取れるわけです。
 これは、長年活動してきて、年に一度はそれぞれの教区で訓練として地元のどこかをお借りして、たとえば整地や除草のひのきしんをやらせてもらっていて、自治体とのパイプをもっているのですぐに要請がくるわけです。
 要請がなければ現地に入れませんので。
 トラックを何台も持っていって、ショベルカーを持っていって、人に関しても、地元の方々は遠方から来る災救隊の隊員を受け入れるひのきしんをしてくださる。ですから迅速に現場に入れるんです。
 自治体としても、天理教さんここをお願いします、と言えば、装備も整えて持ってくるし、ごはんも自分たちで済ますし寝るところも確保してあるし、そして活動するわけですから、これが、天理教災救隊の一番の強みであるんだと思います。

 今回の地震後も、一般のボランティアの皆さんがたくさんかけつけて下さるのですが、人は行っても、自治体が受け付けてここでこれを使ってこれをしてください、ということができないわけです。
 混乱が大きい内はそれが自治体にとって負担になってくるわけで、それが元でトラブルに発展することもあったりします。
 ボランティアに行くんだという皆さんの気持ちが高まってくるのは、日本という災害の多いところにいるからこそだと思うのですが、発生直後というのは混乱していて受け入れられないという現実を今回広く学ばせてもらえたかと思います。

 ものを送ればいいかと言えば、物流も、報道されているように混乱していました。
 道路がダメ、建物がダメ、自治体からの救援物資も、受け入れ態勢が整わずに届いているけど集積場に降ろせないという問題もあったようです。
 ですから個人的に物資を送るということも、災害直後は控えようということも学べました。輸送にかかるコストを、遠方の私たちが消費しないようにしよう、ということです。
 では、なにができるのかというと、やはりまずは、義援金、義損金、募金、ですか、そういうことですね。特に遠方の我々にできる第一のことはそれだと思います。

 私たちは、教区としても大教会としても特に今回こういうことをするという打ち出しがありません。天理教の募金窓口は道友社にあります。
 救援募金は今、どこでもできます。テレビでもできますし、スポーツチームなんかも活動しています。どこでもいいんです。ただし、自分の一番信頼のおける組織、団体に募金をするのがいいと思うんです。使途が明らかになります。
 天理教の場合は二つの募金を設けています。
 一つは、熊本県大分県などの被災自治体にお届けをするものです。
 もう一つは、天理教の災救隊や、天理教の熊本教区、大分教区などで使っていただく予算にまわすものです。
 一つは自治体にいく、もう一つは教内の関係者でつかってもらうもの。という風になっています。

 天理時報にも載っています。そのコピーを用意しましたので、よろしければお持ちください。
 また、おぢば道友社のお店でも募金の受付をしています。明後日から私もおぢばに行きますので、直接お預かりしてお届けもいたします。


 被害状況は、熊本の教務支庁が、熊本城のすぐ近くに広い敷地であるそうなんですが、それが全壊で危険だということで、更地にもうなっているそうです。また、全壊や半壊の教会も多くあるそうです。
 個人的ではありますが、妻方の親戚が八代市にありますが、そこは大きな被害もないようでした。また、学生時代大変お世話になった先輩が熊本にいらっしゃいますが、被害に遭われて避難生活を送っているようです。


【いんねんと道具の理】
 明後日おぢばに行きますと言いましたが、何をしに行くかと申しますと、おぢばで三ヶ月過ごして勉強したりする修養科というのがありますが、その修養科の、教養掛補佐として、5月後半から6月末まで、詰所での世話取りをさせてもらってきます。
 ですので、来月6月の末まで教会におりませんので、6月の月次祭にはおりません。どうぞよろしくお願いいたします。
 ほかのことはともかく、とにかくおつとめを陽気におつとめいただきたいと思います。
 
 私は5月の中旬に合流するのですが、修養科生さんたちは3月の末からもうおぢばで修養科生として生活をしております。私も3月の24日の受付からおぢばで生活を始める何日かを一緒に過ごしてきました。
 その顔ぶれは、11名ですが、全員よふぼくでした。これはすごいなあと思ったんですが、ある人に、すごいですね、と言ったら、「君はおさづけ拝戴の勉強させてもらえないんだね」と言われまして、それはその通りで、それはそれでもったいないと思いました。
 そのメンバーは、80歳の方で自分で商売を興して息子さんに代を譲ったから来たんだという人。教会の後継者で60代で今まで職人をしてたけど会長交代になるので、先日教人講習を終えてきた人。60代で海外でビジネスやってて、日本に帰ってきて2つ3つ会社を経営していたという人、この春に天理高校2部を卒業した若い子。社会福祉協議会の副会長などを務めているというご夫婦がいたり、なんだかすごい顔ぶれだなあ、と思いました。
 これは世話取りの必要がないんじゃないかと思うくらいです。
 詰所で慣れない中でも何も言わないでもどんどん動いてくださって、終わりにしてくださいと言っても終わらないくらいの熱心な方が揃っていました。
 修養科に行かれた方はよくわかると思うんですが、いんねん寄せて守護する、と言います。これはなかなか大変だなあと思いまして。何日かやってるうちに、誰も人の話聞かないなあと思いました。
 
 先日5月はじめにおぢばがえりしてきた際に修養科生のところに顔をだして、若い人にどうですかと尋ねてみましたら、大変だと言っていました。
 やっぱり衝突してしまって大変ですと。そうだろうなと思いました。ちょうど1ヶ月過ぎて誕生祭もありましたし、疲れもピークですし、余裕がなくて周りに目がいかなくなっちゃうだろうなと。
 私は、その時、「そうだと思うよ」と、こう言いました。最初から、こうなるだろうなとは思っていたけども、そうだと思うよ。と。
 皆ほんとに真面目で、君たちも熱心だし、人の話を聞かない人が多いなと思っていて、教養掛も含めてそうだけど、自分の話をするのは上手だけど、話を聞いてもらった覚えがないな、と思ってたら、誰が一番話聞かないかって俺が一番話し聞かないんだよね、みたいなことを話してました。
 
 だから、人の話を聞けないというのは、聞いてもらえないということは、自分が人の話を聞かせてもらう3ヶ月だと思うよ。と。相手のことを聞かせてもらうという、その勉強の3ヶ月だと思うよ。
 この、修養科で出会った人たちとは、いいかい、一生付き合っていくんだよ。そういうタイプの人たちが、君たちの人生で一緒に暮らす相手だよ。
 とこう話しました。
 その、本人じゃなくても、似たような人と一生君たちはかかわっていくんだよ、と。これは歴史が証明しているんだ、みたいな話をしました。
 ただし。ただし、苦手な相手だけじゃないんだよ。いい人、たくさんいるでしょう。仲のいい人たくさんいるでしょう。そういう人たちもずーっと一緒にそばにいてくれるからね。と。
 だから、相手の話を聞かせてもらうと言うことが大事だと、そういう修養科の3ヶ月だと思うよ。
 はい。はい。と聞かせてもらうその心は神様がお受け取りくださる。じゃあ私が聞かせてもらうなら相手も聞けばいいじゃないかと思うかもしれないけれども、それは、自分が先に聞いてごらん。そしたら相手もきっと聞いてくれるようになるよね。
 お互いにお互いの言い分がありますから、どちらかだけが良いということはありません。まず自分が聞く。聞いて欲しければ自分が聞く。これが教祖のお教えくださった順序というものだろうと思うんです。

 神様が人間に身体をお貸しくださる。八つのご守護でこの世界人間身の内を常にご守護くださっている。火水風、飲み食い出入り、皮つなぎに骨つっぱり、切る引き出しのご守護ですね。
 そして人間身の内もご守護くださって、道具をお貸しくださっているわけです。
 目、耳、鼻、口、両手足、男女一の道具です。
 その道具を、どう使うのかということは、それは、心次第に自由に使えるわけです。
 
 耳というのは聞く道具です。何を聞くかといえば、人の、良い話を聞く道具です。
 目というのは見る道具です。親神様のご守護を見せていただく、人の良いところを見せてもらうのが、目の正しい使い方です。
 口は喋る、食べたりもしますが、言葉を出します。何を話すかといえば、教祖のお話を人に伝えさせてもらう。人の良いところを褒めるための道具です。
 それを、人の嫌な話ばかり聞いたり、聞き耳を立ててみたり、人の悪いところばっかり見たり、人の悪口ばかり言うということは、これは、間違った使い方です。

 道具というのは使い方を間違うと壊れるものなんです。
 正しい使い方をして大切に使えば、いつまでもいつまでも使えますよ、とそういうことを、教祖がお教えくださっているわけですから、おぢば、修養科に限った話ではなく、私たちの日常のことでありますから、嫌だなと思った時には、自分は嫌なものを、言わない、聞かない、見ない。自分は相手に聞かせない、見せない、嫌な匂いはかがさない、ということを心がけるんです。
 なんで私ばっかり、ていうのは、それはなぜかと言えば、私は教祖のお話を、相手よりも先に聞いているからなんです。自分はそうやればいいんだということを知ってるんです。相手はまだそれを知らないだけなんです。
 信仰というのは、許す心だと思います。
 教祖が、ごくろうさん、と声をかけ続けたお姿こそ、信仰の第一の姿ではないかと思っています。

 これからおぢばに行ってまいりますが、修了後どうなっているかはまた7月のお楽しみにしていただきたいと思います。
 
 本日は以上です。ありがとうございました。

179年3月神殿講話 災害への備えと除霊とおたすけ

 ただいま3月の当教会の月次祭のおつとめを、結構に陽気につとめさせていただきまして誠にありがとうございます。
 3月、3月3日はお雛様のお祭りの日ですが、ぜひ覚えていただきたいのが、3というのは女性の数字です。
 くにとこたちのみこと、をもたりのみこと、そして3番目に出てくるのがくにさづちのみことです。
 人間身のうち皮つなぎ、世界では金銭縁談よろづつなぎの守護。
 3月3日、女の子のお祭りですので、3という数字は女の人の数字だと覚えていただけたらと思います。
 神殿講話をつとめさせていただきます。


【ご連絡など】
 色々連絡があります。
 教祖百三十年祭が1月26日につとめられまして、当教会の信者さんからのお供えも大教会を通じて教祖にお届けいたしました。大教会からお一人ずつにお礼状を預かっておりますのでお渡しいたします。
 3月ですので、霊祭を、例年通り19日につとめさせていただきます。正午です。
 12日は上級教会の春の大祭です。
 そして4月には当教会の春の大祭です。日曜日になりますのでお誘いあわせてお参拝ください。大教会の巡教もあります。
 
 4月18日はご本部で教祖誕生祭がつとめられます。今年は218回目のお誕生日だそうです。
 教祖お生まれが寛政10年、1798年4月18日です。
 それに合わせて上級のバス団参がありますので、ぜひ多くの皆さんで一緒におぢばがえりをさせていただきましょう。

 私ごとですが、12月づけで上級の准役員になったと申しましたが、このたび支部の支部長やれということになりまして、お断りする理由もありませんので謹んで受けさせてもらいました。届きませんが、どうぞまたよろしくお願いいたします。


【災害と復旧復興】
 3月です。祭文にも奏上しましたが、5年前、3月11日に東日本大震災がありました。
 地震と、地震による津波の被害が非常に大きくて、2万人に近い方々が、お亡くなりになったり、今なお行方不明であったり、という被害になりました。また被害に遭われた方、そのご家族など、ものすごい数になります。
 この時期になると報道機関なども色々と特集を組みます。忘れないためにということで5年間の被害の検証や、復興の歩みなどを取り上げていますが、まだまだ復興には程遠い現状もあります。
 
 また、今月は霊祭だと申しましたが、そういえば去年の秋の霊祭の覚えがないと思いまして、そうだあの時は茨城県で堤防が決壊するという豪雨被害があって、災救隊に出動していたのだと思い出しました。あれからちょうど半年です。
 あれが9月の10日か11日頃の話だったと思います。

 今朝の新聞を開いたらNTTが災害伝言ダイヤルが新しくなりますということで、一面見開きの大きな広告をうっていました。
 災害があった時、被災者の方が、NTTの場合は171をダイヤルをするとメッセージが録音できます。
 自分の電話番号で登録をしてメッセージを録音できます。どこにいますとか、無事ですとかです。
 そうしますと被災地以外の方が、探したい相手の電話番号を入力するとメッセージを聞くことができるという、災害伝言ダイヤルというのがあります。
 このサービス自体はかなり前から提供されています。
 NTTや、それから電話会社ですとKDDIや今はソフトバンクになったところですとか、携帯電話各社ももちろん、災害伝言ダイヤルやっています。
 それからインターネットで電話番号を入れてメッセージを登録しておく、ウェブ災害伝言板というのも各社提供しています。
 これもサービス自体は古いのですが、東日本大震災以降、電話会社を超えて、従来はauの人ならauしか探せなかった、ドコモならドコモの人しか探せなかったんですが、各携帯電話会社で協力しようということになって、会社関係なく探せるようになってはいました。

 それが、今回、この春から新しくなりますという、そういう広告が、今朝入っていたんです。
 なにが新しくなったのかと。インターネットの伝言板というのは、文字ですよね。
 たとえば私が被災して、ケータイからインターネットの伝言板に書き込みます。「無事です。公園にいます」と書いたら、今まではインターネットからじゃないと見ることができなかったんです。今までは。
 それが今回は、新しくなって、その、無事です、と私が入力した文字が、音声に変換されて、遠くの人が、電話でメッセージを聴くことができるようになったということなんです。
 これは、すごい技術です。日本語とか英語もそうなんですけど、文字を自動で読み上げてくれるサービスというのは既にかなり運用されています。英語を日本語に翻訳してくれるのも誰でも無料で使えるようになってきています。
 しかし、それを、書き込まれた、入力された文字を音声に替えて、録音しておいてどこからでも聞けるようにするというのは、考えられなかったです。
 それが、実際に運用が開始される、ということでした。

 これはNTTの広告です。
 私も専門じゃないのでわかりませんが、これの何がすごいのかというと、災害が発生したときはアクセスが一気に集中します。それまでまったく使っていない伝言板を、災害が発生したとなったらNTTが伝言板を開放して使えるようになります。そうすると一瞬で、おそらく数万単位の電話が集中します。
 本来電話というのはそんなに一極に集中するものではありませんので、もし集中してしまえばダウンしてしまいますので、そうならないようにしてるんでしょう。仕組みはわかりませんけど。数千という電話が集中しても大丈夫な設備を用意して、それを24時間365日準備して、日本全国どこで災害が発生しても大丈夫なようにしてある。いつ起きるか起きないかもわからないもののために備えている。
 これはNTTという大きな民間の企業が社会責任を果たそうという強い思いからのことだと思います。
 なるほどなあ、ありがたいなあと思います。

 もうひとつ震災関連のことでお話します。
 皆さん聞いたことあるかと思いますが、グーグルとかヤフーとかっていうインターネットの世界の巨大企業ですが、その会社があの地震から一週間なにをしてたか、という本を先日たまたま読みました。
 あの5年前の地震津波の後、もっとも重要なのは情報であったというのは、おそらく共通の認識と言っていいと思いますが、情報が錯綜して混乱して、救助に行くにもどこに誰がいるのかもわからないということを覚えています。
 その中で一日も早く情報を集めて正確に一人でも多くの人がアクセスできるようにしよう、というしていた一つが、グーグルという会社の、東京にある日本本社でしたし、遠く離れたアメリカやハワイなどのグーグルのボランティアチームだったということです。
 24時間体制で、日本のコンピューターだけでは物足りないから、アメリカのコンピューターも使って、手作業で行っていました。
 被災地で避難所に行くと、手書きで名簿が貼ってあります。誰がここに避難していますよ、という名簿です。それを、現地の人が写真に撮影して送ったら、その写真をボランティアが、世界中の自分の家のパソコンの前で、写真の名簿の名前とかを全部手入力して、その入力したデータをグーグルとかヤフーとかっていう会社に預けて、それを整理して、誰でもいつでも見られるように公開した、とか。
 普段はライバル関係にある地図の会社と手を組んで、現地の詳細な地図を無料で誰でも見られるようにたった3日でしたとか。それは法律的な契約的な部分も飛び越えて、緊急時の措置ということで特別にやったよ、とか。
 または、各自治体や国の機関のホームページなどが一番正確な情報が書かれているのですが、普段はそんなに多くの人が見ませんから、そういう時に一気にみんなが同時に見ようとすると混雑して表示されなくなっちゃうんです。それに対してそのグーグルやヤフーなどの会社は、そういうホームページを自分の会社のコンピューターにコピーして、たくさんの人が見られるように、無料で協力をしていった。とか、なんていうことが書かれていました。

 あ、なるほどな。と思いました。
 災害が起きたときに、被災地の状況というのはとても混乱しています。現地に行ってお手伝いするばかりでなく、そういう部分でも本当に多くの人たちの力が被災地に注がれていたのだな、と思いました。
 それぞれにできるおたすけを、まさにこのとき皆さんがしてくださっていたのだなあと思います。
 被害は中心地から段々遠くに広がっていきます。
 逆に、復興というのは、遠くから被災地に向かって復興していくものだと思います。被害に遭われた方が一日も早く日常を取り戻すには、被災地から遠くの方々は、なるべく早く日常を取り戻す。これもおたすけの一つであるなあ、と、こういったことも5年間学ばせていただけたなあと思っています。
 
 我々にできるのは、自分や家族や周りの方々が、いざという時に少しでも混乱が少ないように、非常用の持ち出し袋をこの機会に点検させてもらうとか、非常食の賞味期限切れてないかとか、そういうこともやらせてもらうとよろしいと思います。

 その中にも、わが子かわいい一心で親神様のご守護が満ち溢れていることを、改めてかみ締めて通らせていただきたいと思います。


【除霊とおたすけ】
 話変わりますが、先月24日に、妻の友人が相談があるということで連絡がありました。
 私は外にいたのですが、以前から私も知っている方だったのですが、なにかに取り憑かれてるみたいなので今から教会に来ると言っています、なんて言われまして、取り憑かれてるってなんだろうなと思いながらも、まあわかりましたと言って慌てて教会に戻りました。
 間もなくその方が来たな、と思いました。車が停まって、ドアの閉まる音まで聞こえたんですがなかなか玄関開きませんので様子を見に行きましたら、玄関先でその人がうずくまってました。
 うずくまってたというか倒れこんでいたというか。
 どうしたことかと思いましたら、行きたくない行きたくないって言ってるんです。
 ここには行きたくないって言ってました。その人ではない誰かが喋っているような感じで、「ここには行きたくないんじゃあ」みたいなことを言ってました。
 ああ、こういうのなんか見たことあるなあと思い、取り憑かれてるってこういうことかあ、と思いましたが、寒い時期でもありましたし、外ではなんなのでまあまあお入りくださいと。どこのどなたか存じませんが、あなたが思うほど悪いところではありませんのでどうぞお入りください、と申し上げて、妻と二人で抱えてなんとか神殿に入ってもらいました。
 その後も起き上がることができずに話もできずに、取り憑いている誰かというか何かというか、それに話しかけるのもいかんかなあと思ったりしました。なにせこれ専門外ですから。霊のことというのは。
 あるとかないとかそういう話ではなくて、専門外ですから、どうしたもんかなあと思いました。
 教服に着替えて、お祓いするときに使うわさわさしたのを持ってきてそれっぽくやってみようかなとか思ったんですが、教わったこともありませんので、形だけやっても仕方ないなあと思いました。
 我々にできるのはおさづけを取次ぐことしかありませんから、その方が何かで苦しんでいらっしゃるわけですから、親神様教祖にお願いをしておさづけを取次がせていただきました。
 おさづけを取次ぎながら考えていまして。それが霊魂であるならば、我々が教えていただいているのは生まれ変わり出変わりの世界ですから、こんなところにいないで早くおぢばへ教祖の元へ一旦帰って、そして早く生まれ変わっていらっしゃい、ということです。
 教会は普段親神様祖霊様はお社のお扉閉まっていますが、教祖のお扉はいつでも開いていますから、おさづけ取次ぎながら、そちらに教祖という方がいらっしゃって、見えるでしょう。その先におぢばというところがありますから、そちらへどうぞいらっしゃい。快く迎えてくださるから、どうぞそちらへいらっしゃい、というようなことを念じながらおさづけ取次がせていただきました。

 しばらくここで、その人も寝転がっていたのですが、段々に気分も軽くなったといってお帰りいただきました。その後特に大丈夫ということで聞いています。
 それがなんであったかというのはもちろん私にはわかりませんが、少なくともその方がその時に苦しんでらして、教会、神様を頼ってお越しになったことに、何も違いはありませんので、教祖の御教えに沿ってお話を一言取次がせていただいて、おさづけを取次ぐ。そして、御供(ごく)をお渡ししました。
 ああよかったな、と思ったことがありまして、これが24日の話でした。
 次の日私がちょうどおぢばがえりをする日でありまして、なんでしたらこっちにいらっしゃいとその霊に声をかけまして、一緒におぢばに帰りましょう、そこに行けばもう何も怖くないわけですから、おぢばに帰らせていただきましょう、と、こっちに来いと言ったんですが来てくれませんで、私の身体にはなにごともありませんでした。
 おぢばに着いて神殿に参拝に行きながら妻に連絡して、昨日の方大丈夫だったかと連絡したら、それは大丈夫らしいけれども私のほうが今朝から調子が悪いと言い出しまして。これはまあ、そういうなにかなのかなあと思いまして、じゃあそれはちょうどよかったこれから、おぢばを参拝するところだから、おぢばから呼びますから、光の見えるほうに行きなさいと言うように言いました。
 そしていつも通りかんろ台でおつとめをしながらその願いをくわえさせてもらって、教祖殿で教祖におぢばがえりの報告をして、祖霊様方に日々のお礼を申し上げて詰所に戻りましたら、大体その時刻から身体が楽になったという連絡をもらいました。
 
 なるほど教祖お教えくださったよろづ助けのおさづけの理、またおぢば親神様教祖への願いの筋というのは、何も違わないものだなあ、とそういうことを、年祭の後、2月のおぢばがえりに際して学ばせていただいた次第です。
 
 ですからどうぞ、おぢばに、4月にバスが出ますので、それぞれのお礼とお願いを添えて教祖にご報告させていただきたいと思います。
 来月のバス団参、当教会の春の大祭と合わせまして、一人も多くの方にお声かけいただきたく存じます。

 以上でございます。ありがとうございました。

179年2月神殿講話 心定めと聖地巡礼とおぢばがえり

 ただいま当教会の二月の月次祭のおつとめを、寒さ大変厳しき中ですが結構ににぎやかに陽気におつとめいただきましてまことにありがとうございます。神殿講話をつとめさせていただきます。

 今年は暖冬だ暖冬だと言ってまして。去年の暮れから正月明けてもまだ暖かかったのですが、それから急に寒くなって冬らしい日が続いています。今日、昨日付けで群馬県全域にインフルエンザ警報が発令されたそうです。手洗いうがいをしっかりする。外に出るときはマスクをする、基本的なことをしっかりきちんとやっていくというのが大事だと思います。お互いに気をつけましょう。


【教祖百三十年祭を終えて】
 1月26日、教祖百三十年祭がおぢばでつとめられまして、春の大祭でもあります、無事に教祖年祭の祭典がつとめられましたことをご報告いたします。その前が特に西日本を中心に大寒波でした。西日本特に九州地方の方大変だったようですが、当日は寒さも和らいで良いお天気の下、祭典がつとめられました。
 約20万人の方が参拝におぢばに帰られたそうです。
 私は、都合がありまして当日26日におぢばに帰らせていただいたのですが、考えてみれば当日の市内の道路は大丈夫なのかと心配でした。詰所までたどりつけるだろうかと。
 ですが非常に順調で、ちょうど祭典が終わる頃の時間になってしまいまして、車がまったく走っていないような道路状況でした。それから参拝をさせていただくことができました。
 詰所も大変にぎわっていて、先日もお話しましたが、正面玄関のスロープも出来上がっていて、ありがたかったです。
 
 年祭活動として、大教会全体で一丸となって取り組んできた奉献神願300万件ですが、その300万件まであと13万件だと言っていたのが12月の話ですが、1月23日の大教会大祭にあがりました奉献神願を含めて、3年間の合計が3,064,916件ということになりました。
 本当に皆様のおかげで、数の上でも目標に届いて教祖にお喜びいただけたと思います。またそれぞれが人様の助かりを願うという上で、成人させていただけた、そんな年祭活動だったと思います。

 年祭の祭典は終わりましたが、年祭があってもなくても、我々の日常と言うのは親神様のご守護の下に繰り返されていくわけですから、どうぞまた気持ちを新たに歩ませていただきましょう。

 私事ですが、年祭活動が終わったと同時に厄年も終わりまして無事に前厄も本厄も後厄も大したことなく最後の最後に財布を盗まれるという珍事がありましたが、それも無事戻ってきまして、よかったなと思っています。
 
【ご報告ご連絡】
 一つご報告しておきます。
 私事ですが、役職が一つ増えまして、昨年の12月付けで上級教会の准役員ということで辞令をいただきまして、何をするのかよくわかっていませんが、上級の上に役に使っていただけることになりました。
 それから何日か前に手紙が来まして、月次祭のおつとめの前に「さあたすけづとめ」というのを私が前で読ませてもらっていますが、おつとめをもっておたすけを進めることこそが私たち教会の原点であり使命であるのだ、というその「さあたすけづとめ」を新しく改訂したということでした。
 今月から早速使わせてもらおうかとも思ったのですが、今月は今までどおりにやらせてもらって、今後はちょっと相談したいと思います。

 毎年大教会の役員先生が巡教に来ていますが、その連絡も来まして、今年は4月10日、春の大祭に合わせてになりました。以前にもいらっしゃった先生ですのでご連絡しておきます。
 日曜日に当たると思いましたのでどうぞ皆さんでお参拝ください。


【信じれば信じる理がまわる】
 年祭も終わりましたので、何をお話させてもらおうかと考えまして。
 私は年祭活動に重点をおいて物事を考えるのもどうかと思っているのですが、年祭活動を振り返りますと、会長交代させてもらったということも教会にとって大きなな出来事だったと思います。私も家族にとっても個人にとっても大きな事柄した。
 その中で、会長になる前に、おそらく二年前か三年前か、私が教会長資格検定講習というのに一ヶ月くらいおぢばに行っていた時の話なんですが、お風呂で大教会のある先生にお会いしました。
 今年の冬に会長交代させてもらいます、とその先生と話をしました。そうしましたら、君のところの会長さん何かあったわけじゃないんだろ、と言われました。私は、はい、元気なうちに交代したいとそれぞれ考えていましたので、と返事をしました。
 そうしたらその先生が、色々あると思うけれども、踏ん張って頑張ってやっていくように、とこう仰るんです。よく意味がわからなくてポカンとしていたら、先生が、会長が変わるとか、そういうときには教会というのは特に色々起きるものだ。節があるもんだ、とこう仰る。
 教会の役員さんや信者さんが大きな身上になったり、出直したりとお見せいただくけれども、そこを乗り切ってしっかり通らせてもらったら良くなるでと、こう言うんです。 
 ああなるほど、と思いました。
 その後どんなもんかと思っていたのですが、割とスムーズにお運びも奉告祭も終えましたのはご承知の通りです。

 私が会長になって間もなく、その先生の部内の教会が、会長交代になりまして、そしたらその教会の責任役員さんが、若くて元気な方でしたが急に身上で倒れまして、しばらく入院したという話が聞こえてきました。
 なるほど。と思いました。以前からその先生の話も聞いていて大変厳しい先生だと思っていまして、そういう話を聞いて、ああなるほどな、と思いました。
 信じれば信じる理がまわるというのは、そういうところに現れるのかと。
 大変なるで大変なるで、と、難渋起きるで、と言ってると、場合によっては、考え方ですが、ちょっとゆがむと、難渋起きないと困るなという考え方に、下手すると陥るんです。
 何があっても結構だなと通らせてもらうのが教祖のひながたですから、色々あるで悪いことあるで、あるかもしれんで、年祭だからそういうことがあるんだよな重なるんだよな、といっていると、それを神様がお見せいただくこともあるのかなあと思ったりもするんです。
 何もない。それが一番結構なことなわけですから、そういうように歩ませてもらうのが良いです。


【心定めってなんだろう】
 では、教祖にご覧いただくその姿。我々が日々通らせていただくその中に、何をどんな心で通らせてもらったらいいのかと。
 祭文にも奏上しましたが正月二十六日というのは2月18日頃ということで、正に今日この時期なんです。百三十年前のちょうど今頃です。
 その頃に教祖が身上差し迫り、それでもなお周囲の方々におつとめをせよと急き込まれた、その中に、繰り返し繰り返し教祖は心定めということを仰るんです。
 じゃあ心定めってなんだと。
 よく教会に人の心定めなんてのが貼ってあります。初席何名とか修養科何名とかあります。それも一つの心定めかもしれませんが、数の上での目標とか、何々をやらせてもらいたいとか、目標をただ立てることが心定めではないわけです。一般的な意味で心定めと言えばそうなのかもしれませんが、教祖のお望みになる心定めということは、正に読んで字のごとくで、心を定めるということなんじゃないでしょうか。
 定めると言うことはどういうことかと言えば、心の向きを定めると言うことです。
 心の向きをどこに定めるのかといえば、それが、おぢばなんです。
 
 心の向きを常におぢばに定める。定めるということはぶれないということです。あっち行ったりこっち行ったりしないということです。あっち行っても、元が定まっていたら元に戻せます。それが、心を定めるということであって、心定めということです。
 ですから教祖はあの時に、私の身上のこととか、警察に連行されることとかそういうことではなくて、49年にわたって言い続けてきたんだから、とにかくつとめをせよ。おつとめをつとめるんだということを第一に考えてくれよ、ということを、最後の最後までお言葉の上にお教えくださったのではないかと思うのです。
 心の向きをおぢばに定めて、日々の行いは教祖のひながた、背中を追う。これが教祖がお教えくださった、人の生き方というか、よふぼくの通り方でもあり全ての人の歩み方ではないかと思うのです。
 こんな時どうしよう、あんな時どうしようというのは、教祖が50年にわたって実際に身に行って残してくださったひながたがあるわけです。だから我々はどんな時もおぢばを向いていられるわけですし、どんな時も教祖のお背中を追って歩いていくことができるわけです。道は教祖がつけてくださった。
 こういうことが、私は、信仰というものの第一義なのではないかと思います。


【ひのきしんと聖地巡礼
 以前から何度かお話をさせてもらっていますが、ひのきしんというのは、第一にはおぢばがえりを指すんだよ、と、私はよくそういう言い方をします。
 24時間365日地球上全てにおいてご守護くださっている親神様にお礼を申し上げる。親が喜んでくれることをする。それは第一にはまずやっぱりふるさとへ里帰り。教祖に元気にご挨拶に行く、帰る。
 これが親が一番喜んでくれる姿であるならば、おぢばがえりがひのきしんであるんだよ。
 おぢばがえりをすることはなかなか大変だというのもよくわかります。それぞれが土地ところでそれぞれの働きを、役割を神様からいただいていますので。だから、おぢばの出張り場所である教会でなにか御用をさせてもらうですとか、それぞれの職場や家庭の中でお客さんや家族のために日々の働きをさせてもらうことがひのきしんになるんだよ、ということを言ってきました。
 そのおぢばに心が常に向いているか。何かあったときに「おぢばに帰らせてもらえるかな」と最初に思い浮かべることができるかな、ということが大事なことなんだと思うんです。

 おぢばがえりとは、一般的に言えば聖地巡礼です。
 パワースポットと呼ばれる場所があって、総本山と言われるようなところや、世界にも聖地と言われるところがありまして、そこに信者が行くことですね。信者にとってはそれが生きていく上での大きな目的の一つでもありますし、善行の最たるものです。これが聖地巡礼です。
 我々にとっての、言わば人類にとってのおぢばがえりである、ということです。

 ただし、おぢはが自分たち天理教の聖地であるから、そこに行かせてもらうことが良い行いである。だけではないですよね。それは最初に言った、自分の心がいつもおぢばに向いているから、だからありがたいんだよ、ということを教祖がお教えくださったんです。
 信じれば信じる理がまわる。
 誠の心。教祖が大好きなその心を、年祭後の今、かみ締めて通りたいと思います。

 4月、上級教会のバス団参です。ぜひ一人も多くの方を、お友達を、ご家族を誘ってみんなでおぢばに帰らせていただきましょう。
 それから夏にはこどもおぢばがえりです。今年も教会で出させてもらいますので、そういうのをご利用いただいて、今年もおぢばに行くんだと、一度二度三度と是非心に留めていただけたらと思います。

 私はもうよふぼくだから別席運べないとか、私は修養科出たから修養科行かなくていいとかそういうことではなくて、よふぼくだから別席を運んでない人をお誘いする。別席運び中の人がいたら、ぜひまた行きましょうと声をかけさせてもらう。修養科どうですかの一声をかけさせてもらう。そういうものがあるんだよという声をかける。
 おぢばでは三日講習会というものもあります。そういうものがあるんだよということを、知らない人に教えてあげる。知っていても私には関係ないという人に、そんなに無関係じゃないんだよと声をかけさせてもらう。これが大事なことだと思います。

 私がおぢばに帰れるかしら、だけではなくて、誰か一緒に帰れないかしら、というところまでお考えいただくと教祖によりお喜びいただけるのではないかと思います。
 

おぢばに帰れるようになる心がけ】
 じゃあ、じゃあです。おぢばがえりをしたいさせてもらいたいと思って、そのために日々どうさせてもらったらいいのか。どうやったらみなさんで一人でも多くの方とおぢばがえりができるのかなと考えてはいるのですが、なかなか答えもないんですが、とにかく、毎日、一日一日を明るく、元気に通らせてもらうこと。
 これがおぢばがえりへの種まきになるんじゃないかと思うんです。
 朝起き正直働きと、教祖がお教えくださっている、それを実践していくことがそれが、おぢばに呼んでいただける、小さいけれども一番確実な方法なのではないかと思いますので、どうぞ、風邪ひかぬように気をつけていただいて、毎日元気に明るく通ってください。

 以上でお話を終わります。ありがとうございました。

179年1月神殿講話 教祖年祭と日本人の信仰と感謝の心

 新年あけましておめでとうございます。昨年中は教会の上にまたそれぞれのお役の上にお世話になりました。まことにありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年の暮れから暖かい冬で、まだ赤城山が白くなったのを見ていないなと思ったのですが、新年明けてもありがたいことに暖かい日が続いておりますが、風邪もはやっているようですので気をつけてください。
 本日は教祖百三十年祭の年の最初の月次祭を、ただいまけっこうにおつとめをつとめさせていただきました。曜日も重なって3歳から85歳までの、80歳以上の年齢差のおつとめを教祖にご覧いただくことができまして、教祖さぞお喜びのことと存じます。
 今の教会は少年会が非常に頑張ってくれていまして、今日も小学生を中心におつとめに出てくれました。皆なにをやらせてもすぐできるというか、練習を頑張ってくれているので、今日も事前に言っていたわけではないのですが、これをあれを頼むと言えばはいと引き受けてすぐにやってくれるようになりました。
 これもひとえに大教会や教区の総会や、その練習に送り出してくれる親御さんご家族、またつたないながらも子供たちが一所懸命頑張る様を暖かく見守ってくださる皆さんのおかげです。どうぞまた、ともどもに育てられたらいいなと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。神殿講話をつとめさせていただきます。

 今日は祭儀式の中で、教祖に祭文を奏上しまして、いよいよ今月26日がおぢばで教祖百三十年祭の祭典が勤められます。ここのところずっとそんな話ですが、教祖百三十年祭、三年千日のスローガンが大教会から打ち出されてもう3年以上。諭達が発布されてから3年と3ヶ月になるわけです。
 いよいよ今月26日に当日を迎えます。
 昨年、大教会から、大教会としてひとつにまとめておぢばにお供えしたいと、大教会長様の思いでお供え袋をお配りさせていただきました。今日改めて神様にお供えをしました。上級を通じて大教会の春の大祭に、お供えをさせていただきます。高いところからですがお礼を申し上げます。ありがとうございました。

【教祖百三十年祭、年祭の意義】
 百三十年前です。教祖は明治20年、正月26日に教祖がお姿をお隠しになりました。
 当時は警察の取締りの大変厳しい中、非常に寒い季節です。今の暦で言うと2月18日頃だそうです。非常に寒さ厳しき中、この命どうなってもという者だけおつとめをするという、初代真柱様をはじめおぢばの先生方がおつとめをつとめて、そして十二下りが終わる、なむてんりわうのみこと、と唱えられたそのときに、お姿を隠された。
 それから百三十年だそうです。
 年祭活動、年祭活動と10年ごとにやってまいりまして、今回も3年間、おたすけをさせてもらいたい、真柱様が、おたすけのできるよふぼくを一人でも増やしたいと諭達で掲げられて、よふぼくの集いを開催したりそれぞれの土地ところでいろいろな活動にはげませていただいて参りました。
 年祭のために何かやる、ことではなくて、年祭というのは、教祖にお喜びいただきたい、その姿を教祖にご覧いただきたい。教祖のお喜びになることはなにかと考えたときに、やはり最終的には陽気ぐらしの世の中なのですが、今はまだそこに向かう途中でありますから、一人も多くの方が一人も多くの方をおたすけさせていただく、互いに助け合う暮らしを一つでも多く教祖にご覧いただくことが、教祖がお喜びくださることだ。だから年祭という旬にそれをご覧いただこう。
 これが年祭の趣旨でありますから、年祭活動もその一環として行ってきたわけであります。
 ですから、年祭のためにやってきたことではなく、年祭が終わっても続けていくためのことですから、今日も4400件以上の奉献神願をお供えさせていただいて、用紙に書くということは先月申した通り、本日で一つの区切りをつけますが、また2月の月次祭には皆さんがご家族ご友人、お困りの方ご身上の方事情の方、助かりを願っておつとめをつとめさせていただく、続けていくことが大事ですので、お願いを申し上げます。

 年祭のおぢばがえりをということは企画しておりませんが、4月に上級の団参があります。パンフレットも預かっていますので、ご覧ください。ぜひ一人も多くの方とおぢばに帰らせていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。

【家族のおぢばがえり】
 おぢばがえりと言いますと、昨年の話になりますが12月の26日から28日までおぢばがえりをさせていただいて、信者さんと別席を運んで参りました。
 年祭の前になんとかおぢばがえりをと色々私も言ってきましたが、そういえば自分の家族とおぢばがえりしてないなと思いまして、夏の子供おぢばがえりは毎年行っていますが、それ以外におぢばに帰らせてもらってないな、と申し訳ないというか残念だと思っていました。
 週末におぢば月次祭が重なった時におぢばに行きますと、詰所や境内地で家族連れとすれ違うのですが、家族で参拝というのもうらやましいなと思っていました。
 ちょうど冬休みですから声をかけたところ都合がつきまして、妻と次男と一緒におぢばがえりをできました。
 今詰所の一号館の正面玄関に車椅子が出入りできるようにスロープを普請してくれています。今までは階段しかなくて足の悪い方にはご不便だったのですが、年祭に間に合うようにしてくださっています。また、2号館のエレベーター設置、トイレの洋式化と合わせて、皆さんにとっても詰所も使いやすくしてくださってますので、どうぞまた一人も多くの方とおぢばに帰らせていただきたいと思います。
 おぢばに帰りたいという方がいらっしゃったらぜひお声かけください。なるべく都合を合わせます。

【教会に参拝に来る子供】
 おつとめをつとめながら思ったことがありまして余分な話をしますが、今日は学校が休みで子供たちが月次祭参拝してくれて、まあ大半の目的はみんなで遊ぶことなんだと思うんですが、それでもこうやって来て、おつとめの時間に文句も言わずにおつとめを、座りづとめから前半まで鳴り物を勤めてくれる、またてをどりを勤めてくれる。これは非常に私は、教会長という立場もありますから、嬉しいと思います。
 逆に、我々の感覚としては麻痺してしまっていて、はいはいいい子だね、程度で終わってしまうかと思うのですが、少し立場を置き換えますと、たとえば、親戚の子でも近所でも子供の同級生の子でもまあなんでもいいんですが、その子が、学校が休みだったのでお寺で座禅を組んできたとか、日曜礼拝に行って賛美歌を歌ってきたとか写経をしてきたとか言う子がいたらですね、なんて立派な子なんだと思うと思うんですね。
 それは信仰のあるお互いですから、どういう風に親御さんがその子にお話をしているのか、ご家族がどのように日ごろ接しているのかわかりませんが、そういうことをする子がいればこれは大したもんだきっと立派な人になるに違いないと、私は思ってしまうんですが、それに近いんじゃないかと思います。
 そういうことを今、正にしてくださっているのがありがたい嬉しいことだと思います。

【教会の原点、使命】
 教祖の年祭ですから、一つはおたすけをさせてもらうのがよふぼく信者の通り方の一つであります。そして、どこまでも50年のひながたでお急き込みくださったのはおつとめの完成であります。教会の原点とは、おつとめをもっておたすけをすすめることだと聞かせてもらっています。
 おさづけの取次ぎというのはこれはよふぼく一人でもできます。いつでもどこでもできます。
 その願い、願うことの、元の、つとめというのは毎月26日のおぢばのかぐらづとめです。
 教会で10日につとめるのは、その日しか許されていないからです。皆でおつとめ着を着てお扉を開けておぢばの理をいただいてつとめるというのは10日じゃないとダメなんです。
 教会というのはおつとめをつとめるんです。10日におぢばに向かって、かぐらづとめの理をいただいておつとめをつとめるのが教会なんです。これはよふぼく一人ではできないんです。
 この教会につながるよふぼく信者のみなさんが、この10日のこの時間にこの場所で、おぢばに向かって教祖にお教えいただいておつとめをつとめさせていただくところに、親神様のご守護、いわゆる奇跡のご守護みたいなものも目に見えて現れるということも近くなるわけです。
 そのおつとめをつとめる一人一人を増やすなり育てるなりということも教会の使命であり役割であります。それは早くからこのお道の教えを聞かせてもらった先輩方が、まだ知らない人々に声をかけて教会のおつとめをつとめられるように、座りづとめの手をどりから鳴り物から、段々に手をどりや笛、鼓、三曲までできるように、これは時間のかかることですが、やらせていただくというのが、教祖のお喜びくださる教会の姿ですので、そういう意味で、非常に今日はありがたい日だなと思わせていただいたところです。
 
【日本人の信仰心と感謝の心】
 正月ということでもう一つお話させていただきます。
 神殿のそこに、書初めを並べて貼っておきました。今年は元旦に書初めをしようとなりまして、その日いたメンバーで今年の抱負を書いてみました。まあご覧の通り抱負でもなんでもなくなっていますが。というのも毎年クリスマスにクリスマス会を子供たちとやっていたんですが、昨年都合が合わなくてできなかったので、、なにか宗教行事をやらせてもらいたいなと思いまして、書初めをしてみました。
 お正月やお盆というのはお嫁に行ったり遠く暮らしている家族が里帰りをします。交通が非常に混雑して帰省ラッシュなんてニュースになります。
 実家に帰ってお正月、何をしますか。ということです。
 私は実家にいることが多いので、あまり正月実家に帰るということが経験ないのですが、実家に帰る、親戚のところに行く、という時に何をしますかと。
 割と多く聞くのが、初詣に行ったというのを聞きます。暮れに里帰りをして正月になになに神社、なになに大社に初詣に行きましたと。また、お墓参りに行きます。お盆ですね。
 そこには、信仰があると思うんです。天理教の、南無天理王命の信仰とは厳密に言うと違うのですが、良い悪いの話ではなくて信仰があります。初詣に行くとかお墓参りに行く。その信仰の現れた行いを、実家に帰ったときにするんです。
 それは、やっぱり生まれ育った場所だからそういう心が根付いているんですね。親がいた、そのまた親がいてそのまた親がいたその土地に、遠くから帰ったときにその幼かった頃を思い出して参拝に行き、一年のことを祈願したりご先祖様にお願いやお礼をしたりするわけです。それは信仰の行いです。
 そう考えたときに、やっぱり生まれ育った場所と言うのは自分の信仰の原点でもあるわけです。
 信仰の原点に立ち返ったときにやっぱりご先祖様に手を合わせるという、日本人なら大体そういう心は持ってると思うんです、大きいと思います。親に感謝する、先祖代々に感謝するという心は持っていると思います。
 親戚が集まると、子供たちも集まりますよね。いとこやはとこも集まってきます。
 そうなると先祖代々に感謝をしながら、自分の子供たちこの先どうなっていくのかな、元気に育ってくれればいいなという願いも込められると思うわけです。どうぞ守ってくださいという願い。
 そして、自分たちも段々にこの子達を守ってあげたいなという風な思いになると思うんですね。

 過去への感謝、お礼が、今度は子供たちという、自分の未来に対しての感謝お礼につながってくると思うんです。これは、初詣やお墓参りといったような我々に身についた信仰の中から見えてくるものだと思うんです
 そこを、もうちょっと考えていくと、今日はちょっと細かく話しませんが、その先にあるのが、今現在の自分に対する感謝、というものにたどり着くんです。これがいわゆる信仰であったり、悟りと言われるものであっていいと思います。
 どこかから思いが始まって一周ぐるっと回って、外に向かっていったお礼が自分に戻ってくる、自分に対する感謝になってきます。そこに自分にあふれているものに対する感謝が、もうちょっとそれは何かな、と思ったらそこに、南無天理王命があるわけです。
 一番の原点がそこにあるわけです。
 親神様の絶え間ないご守護というものが原点にあるから、今全てのことがあるんだよ、ということが、そういったことからも汲んで取れると思うんです。

 ですから、信仰というものは、このお道に限らずに、親から子へ、子から孫へ、また、子孫から先祖へとつながっていくわけですから、一人が一人につないでいくということをとても大事にしたほうがいいと思うんです。
 一人が喋ってその他大勢が聞いて納得して信仰が始まるというものではないと思うんです。だから、たくさんのよふぼくが必要なんです。だから教会もたくさん、土地ところに必要なんです。一人のすごい人がそれっぽいことを言って大勢の群集が納得して始まる信仰ではないんです。一人が一人を助けていくところに、本当の信仰が生まれるわけだと思うんです。
 それを教祖がお教えくださったんだと、私は思っています。

 私は何もできないから、何もできませんから、ではなく、あなたが、そこにいてくださることが、周りの方々の助けになっているんだよ、ということを、ぜひ、今日、正月ですので申し上げたくて、そんなお話をいたしました。
 どうぞ教祖の年祭の年でありますから、元気に今年一年通らせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いをいたします。ありがとうございました。

178年10月神殿講話 災救隊行ってきました

 ただいま10月の当教会の月次祭のおつとめを、始まるときには寂しいなと思ったのですが、少年会もがんばってくれて、けっこうにおつとめをつとめさせていただけました。まことにありがとうございます。
 お天気も、暑くなく寒くなく風もちょうど良く、いいお日和をいただきました。神殿講話をつとめさえていただきます。
 
 先月9月はにをいがけ強調月間という一ヶ月間でありまして、特に28、29、30日を全教一斉にをいがけデーとしてつとめさせていただきました。ご苦労さまでしたありがとうございます。
 今月10月は大教会長様よりお打ち出しの本年2度目の仕切り丹精の月ということでお声をいただいております。先月もお願いいたしましたが、どうぞよろしくお願いいたします。
 大教会長様も今年、本部の准員にも登用されたということでよりご本部の御用にお使いいただけるそうですから、またお声に我々もお応えさせていただけたらと思います。

 先月9月10日に月次祭をつとめさせていただきましたが、ちょうどその日は栃木茨城豪雨の日で、朝からずっとテレビでテロップが流れている状態で、鬼怒川がまさに今決壊するというそういう時でありました。
 私もおつとめの前と、この講話の時間にも被害に遭われている方が早く救難されますように、また早く復旧復興が滞りなくすすむようお願いさせていただきましょうと申し上げました。
 その3日後、13日の日曜日、支部のひのきしんに行きましたら、支部長さんから、災救隊が出動することになったと聞かされまして、そんなことを言っていた以上、二つ返事でわかりました行かせてもらいます、ということで、災害救援ひのきしん隊に出動させてもらいました。
 
 災救隊というのは、災害救援ですので、災害が起きました被害が出ました、さあ行きますというので、今日の明日出動ということが多いのですが、今回は第二次隊ということで、19日からの3日間の出動でして、少し準備ができました。
 災救隊は、昭和46年に正式に災害救援ひのきしん隊ということでご本部で結成されたそうです。全国規模の災害救援組織。各都道府県ごとに、群馬でしたら群馬教区隊、東京でしたら東京教区隊という風に置かれている組織である、ということです。
 もちろん昔から有事の際にはお道の人たちが集って助け合うというのはあったわけですが、正式に組織されたというのは昭和46年だそうです。45年くらい前になるんでしょうか、そういう歴史になります。
 
 私個人としては災救隊の隊員になったのはまだ2年くらい前の話ですので、今回初めて本番の出動ということになりました。今日はそんな話をします。

 出動したのは、鬼怒川が決壊したという、茨城県常総市です。茨城県なので北関東自動車道まっすぐ行けば着くのかと思っていたのですが、前橋に集合して出発して、北関東道を佐野藤岡インターチェンジで降りまして、国道50号をまっすぐ行った辺りでした。
 私たちの馴染みのあるところで言いますと、つくば科学博というのが30年ほど前に開催されましたが、その近くでした。
 
 話が前後しますが、災救隊というのは、信頼と実績といいますか、実際の災害の際にももちろんいち早く出動して現地でひのきしんさせてもらってるわけです。
 今は何かあるとすぐ民間のボランティア団体が結成されて、自治体が県外のボランティアを受け入れるということになれば、すぐに登録した人たちが駆けつけます。救援物資を持って個人で駆けつける人もあるし、登録したボランティア団体の募集があれば、一日でも半日でもと言って何かできることをやらせてもらう、ということをやっています。
 まさにこの阪神淡路大震災東日本大震災など、大きな災害ごとに民間の助け合いの輪というのが広がっています。もちろん桐生市からも大勢の方がボランティアしてくださっています。災救隊もそういったボランティア組織と言えばその通りであります。
 一つ違うと言えば、長い時間かけて培われた実績と、自治体からの信頼ですね。それが大きいので、第一に、大事なところを、真っ先に任せられるというのが、事実としてあります。
 それから災救隊の謳っているところでもあるのですが、自己完結型の組織を目指しているということです。自己完結型の組織とは何かといいますと、わかり易いたとえでは自衛隊などはそれにあたります。自衛隊以外の組織というのは、たとえば被災地に赴く救急や消防というのはそれぞれ役割が決まっています。たとえば橋が壊れていて行けないとなったときに、その橋を架けるのはたとえば国土交通省の許可がいるとか、建設の許可がいるということがあります。警察や消防は勝手に橋を架けたりということはできないのですが、自衛隊にはそういう権限が与えられているとか、現地での食料や風呂、そういった生活設備も自衛隊は全部自分たちで物資を運んで設営をして、救援を行って撤収して帰るということができる。そういう意味で自衛隊というのが災害救援の際に活躍できる最大の利点でありまして、それを自己完結型の組織と言っていいと思うんですが、災救隊もそういったものを目指している、ということがその他のボランティア団体と違うところなのかな、と思います。
 たとえば宿舎がなければテントを張ってテントでキャンプをして、その場で自分たちで持ち寄った機材食材で、隊員たちの食事を作るということもできます。そういうことができます。またたとえばトラックや重機、シャベルカーなどですね、そういうのを調達して被災地に赴いて必要な設備を使用して復旧や支援活動にあたることができます。そういったことが得意ですので、任される場所も、民間のボランティア団体がまだ入れないようなところも入らせてもらうことができる、ということもあります。

 土砂崩れとかなどが起きたとしますと、車がが入っていけなくなったりします。そうすると専門の部隊がそこをまず車が通れるようにしなければならないわけですが、専門の部隊というのは大きな場所に行きます。国道ですとか県道ですとか、主要幹線を先に通れるようにしなければならないです。そういうところに行く手前の、生活道路といいますか、そういうところまではすぐに手が回らないです、復旧が遅れるというか。しかし地元のかたがたにとっては第一になってくるので、その後方支援的なことで、材木や危険のものを取り除いたりとか、そういう部分も真っ先に任せてもらえるような、そういうこともあります。

 話を戻します。今回我々が行かせてもらったのは、学校でした。
 第二次隊でしたので、第一次隊の3日間はその現場には東京教区が入っていました。その後に我々群馬教区隊と埼玉教区隊が行きました。
 東京教区がお昼まで入っていた現場に、お昼から我々が入ることになりました。

 そこは、私の身長よりも高いところまで水が押し寄せた、そんな学校でした。
 現地に行くと校舎の前に、コピー機とか印刷機とかスチール製の大きなロッカーとか、そういうのが泥にまみれて置かれていました。
 校舎の一階が完全に水に浸かっていましたので、まずやらせてもらったのは高圧洗浄器で壁や床の泥を落として校舎の外に掃きだすという作業を半日やらせてもらいました。
 使い物にならないのかなあ、と思いながらコピー機やロッカーなどの泥を落とすこともしました。
 電気も水道も止まったままですから、どこかから持ってきた大きな貯水タンクと発電機を使っての洗浄です。
 水害によって甚大な被害にあって、それを綺麗にするのもまた水なのだなあ、と思いながら、一生懸命に洗っていました。

 私は二日目の出動には別の学校に行くことになりまして、そこには700人の方が当初避難していたそうです。その学校は少し高台なので水が来なかったのですが、避難所に指定されていました。
 私たちが行っていたのが19、20、21日で、ちょうどシルバーウイークでした。連休明けには学校再開したいので校舎の消毒をしてくださいということで、医療用の消毒液を、生徒たちが使う校舎、特にトイレをずうっと消毒させてもらってました。

 三日目には初日の学校に戻りまして、今度は校庭がぬかるみでどうにもならないものですから、車も入れないです。とにかく校庭の片隅に積み上げられたゴミ、というか廃棄物をトラックで搬出するための、トラックが通れる道を作る、という作業を、重機を使える人がやりました。私たちは水で壊されたウサギ小屋やニワトリ小屋の解体作業をやってくださいと、そういうことをやらせてもらいました。
 昨日も1ヶ月経ったということでテレビで特集がやってまして、その地域はブラジルの方が多いと言ってました。言われてみれば避難所に行った時に、トイレの張り紙、水が流れないのでバケツで流して、バケツにまた水を汲んでおいてください、ということが日本語と、多分ポルトガル語なんだと思うんですが、そういう張り紙がたくさんしてあったなあと思い出しました。
 私たちの宿舎は、公民館みたいなところを貸してもらっていました。お寺の敷地内に公民館があって、本堂を茨城教区の災救隊、公民館の方を我々各教区隊に貸してくださいました。

 災救隊出動となると、県、茨城県から、教会本部の災害救援ひのきしん隊本部に連絡がいきまして、その本部から、今回は関東6県の教区隊へ出動要請があったんだそうです。その本部の先生から区長さんをご紹介くださいまして、区長さんからご挨拶をいただきました。
 水が来てとても大変でした。テレビにも映っていましたが、車が流されそうになっている。その流されそうな車の窓から間一髪泳いで逃げ出した人もいるんです、という話をしてくださって、実は何を隠そうあれは私なんです、なんていう話を聞かせてもらえました。
 区長さんは命からがら助かったんです。今回。だから、ほんとに助けを必要としている人がいるというのをよくわかる。だから是非救援隊の宿舎に使ってもらえるのであれば使ってくださいということで、快く貸してくださったそうです。
 ですので今回は、寝るのも食事も、屋根の下でとることができました。
 お風呂も用意していただいて、少し離れた土地の入浴施設を利用させてもらえまして、とても広くて綺麗なお風呂を使わせていただけました。非常にありがたいことでした。

 さっき言いましたように私たちが行ったのは学校です。現実的な問題として行政というのはお金がないです。災害救援という際にも今回激甚災害に指定されたので国の方からも予算が出るとは思うのですが、学校の現場に予算が回ってくるのはかなり後になってくるんだと思うんです。
 私たちには、ある、市の職員さんがつきっきりでいてくださいまして、ここをやってください次はあそこをお願いしますと指示してくださってました。
 本来そういうところに、天理教の人間ですから、宗教の看板を掲げたところは、教育現場に入ると言うのは難しい判断なのですが、今回やってくれということで、連休明けの学校再開に向けてお願いします、ということでやらせてもらえました。
 
 最初に言いました、私の背よりも高く水に浸かったという学校だけは、連休明けの再開には間に合わなかったですが、それ以外の学校は連休明けに再開できたということで、喜びの声をいただいたそうです。
 その、市の職員さんがまず第一にこんなことを我々に仰いました。
 水害があった後、学校の職員、先生方、ほんの十数名しかいらっしゃらない、その方々が途方にくれて、暗い顔でうつむいて、何から手をつけていいかわからない状態だったそうです。そこに、災救隊がやってきて、みるみるうちにすべての物を運び出して片っ端から泥を落としてくれた。三日間でここまでこれました。ようやく、教員たちの顔が明るくなって笑顔になりました。さらに今は民間のボランティアの方もたくさん駆けつけてくれて、どんどん校舎の中が綺麗になっていくその様を見て、教員たちがほんとに明るくなり、大きな声で皆さんを迎えてくれるようになったので、本当に助かっている。というお話を、職員さんが話してくれました。
 天理教の人たちがやってくれたということは、申し訳ないが言えないけれども、皆さんのこの天理教災害救援ひのきしん隊の青いヘルメットを見た住民の方たちがきっと語り継いでいってくれることと思います、というありがたいお言葉をいただいて帰って参りました。
 
 今回、私は災救隊で被災地というところに初めて行きました。行く前にテレビで見ていたような、いわゆる凄惨な景色というのを想像してというか覚悟して行ったのですが、東日本大震災津波被害の現場なども映像で見ていますので、胸が詰まるような景色が目の前に広がってきたらどうしようかと思ってバスに乗っていったのですが、実際はそんなことはないな、というのが最初の率直な感想でした。
 やっぱり映像と言うのは高いところなり見張らせる場所から、遠くの方から全体を撮っているんですよね。被害状況がわかり易いように撮っています。映像で見るのと、現場で人間の目の高さで眺められる範囲で見るというのは、これはまた違うんだなというのがよくわかりました。
 映像で見るような、見晴らす限りの被害と言うのは見えないのですが、その分、同じ目線でというか家の中まで見えるんです。そこここで、家財を全部運び出して泥を落としているご家族の方ですとか、目の前で金網のフェンスが基礎ごと全部道路に倒れているとか、道路の上にも泥が固まっていてそれを何とか避けて通行していく車、それはもう正に日常の中に被害がありました。何も、特別なというか、どこかの世界の物語ではなく、生活感があふれているけど家がない家財がダメになった何もかも失った、という方々がたくさんいらっしゃった。
 我々は行って作業して、夜になれば食事をいただいて次の日に備えて寝て起きてまた作業をさせてもらう、帰れば家がある。しかしその方々は何もなくなった、というそういう姿が、目の前に広がっていました。
 我々は何もできないです。行ってお手伝いして帰ってくることはできるかもしれないです。救援物資を送る、義援金を送るとことはできるかもしれませんが、その、家財を片付けている方々に我々がなにができるかなと。たとえば時間があって現地に行くことができて、行ったところでなにができるかとなれば何もできないと思うんです。
 一人の人というのは無力だなと思ったんです。思ったと同時に、この方々に真っ先に必要なものは何かな、と思ったら、やっぱり、誰かが隣にいて寄り添ってあげる、一人にさせないということも、これはやっぱり大事なことなんだな、というのを、感じた三日間でありました。
 ですから、なにかができるできないということではなくて、大変な人がいて辛い思いをしている人がいたら、何もしてあげなくてもいいし、何も言ってあげられなくてもいいけど、しばらく隣に寄り添ってあげる、手を握って同じ時間をすごしてもらう、ことが、私は、おたすけというものの第一歩というのであるのかな、ということを、災害救援ひのきしん隊というものを通して、改めて感じたところであります。

 隣にいて、寄り添って、お話相手になるだけになるかもしれない。それが、うつむいて声が出なかった人が少し目線が上がって、何かをやり始めるきっかけになるかもしれない。それでもダメな人はダメでしょうけれども、ただ一人で落ち込んでる人にとって、誰かが一緒にいてあげられたらなによりの励ましになるのかなあ、ということを感じてまいりました。

 今日はそんなお話をさせてもらいました。
 まだまだ現地は復旧最中であります。また自然のことですので、今後またどこかで必ず、災害というのは発生します。そのときには助け合いの心というのを学んでいる我々は、なにかやらせてもらう。また、自分たちに災害が降りかかってくるときのための備えをそれぞれにしておくということも大事かと思います。

 以上です。ありがとうございました。

178年9月神殿講話 学生おぢばがえり大会と、手段と目的と

 ただいま結構に9月の月次祭のおつとめをつとめさせていただきました。初めての役割を勤めてくださる方も多く不安も実はありましたが、調子も非常に良く音の大きさも素晴らしく、気持ちの良いおつとめをつとめさせていただけたと思います。親神様教祖も大変お喜びのことと思います。
 おつとめの前に一言申し上げましたが、昨日からの雨で、今も栃木県茨城県に甚大な被害が出ております。我々は事なきを得てよかったな、だけではなく、そのお礼も込めながら、お隣ですから、被害に遭われた方が早く助かるように、今後長い時間をかけた復旧復興になりますが、その復旧も事故なくすすめられるよう、そんなお願いをおつとめにのせさせていただけるというのも、これも、我々信仰者のつとめですので、本日素晴らしいおつとめをつとめさせていただけたこと、喜ばしく思います。ありがとうございます。
 神殿講話をつとめさせていただきます。

【ご連絡】
 ご連絡が多いのですが、9月13日には支部のひのきしん日です。今月は少年会のひのきしん日ですので、子供さんも奮ってご参加ください。
 19日は例年通り、秋の霊祭をつとめさせていただきます。

 今月は、祭文にも書きましたが、にをいがけ強調月間です。特に28、29、30の三日間をにをいがけデーということになっています。春にはひのきしんデーがありますが、秋はにをいがけデーです。
 そのうち28日は教会長路傍講演の日というのになっていまして、支部でもこの日は会長さんたち集まって路傍講演をやっています。よろしければ見物にでも来て下さい。
 次の日29日が支部のにをいがけデーになってますので、ご都合の付く方はぜひご参加ください。
 その日に限ることでもありませんので、大教会で作ってくれた良いパンフレットがありますので、お時間のあるときに活用してくださると幸いです。
 奉献神願ですが、今月は3605件のお願いを皆様からお預かりしました。
 奉献神願というのは、神様へおたすけの助かりのお願いをさせていただいて、月次祭のおつとめをさせていただく。また日々神様にお願いをするということなんですが、そこにもう一つ真実を添えさせていただきましょう、と大教会長さんが仰るわけです。
 その真実とは何かと申せば、教祖のお喜びくださる行い、それは何かと、これは、神様の教えをまだ知らない人たちに教えてあるく、にをいがけの姿。これが、教祖のお喜びくださる姿を、おつとめに添えて真実のお供えをしようとこういうで、にをいがけの年祭活動の一つとなっておりますのでよろしくお願いします。奉献神願の話はまた後で少し触れます。

【道の学生おぢばがえり大会】
 すこし先の話になりますが、来年の春、学生おぢばがえり大会というのが3月に開催されます。3月の28日というのは毎年天理教学生会の総会がおぢばで開催されてます。
 例年4000人から5000人くらいの参加者が集まって、お祭り騒ぎをしたりそして、真柱様から道の学生に向けたお話を直々に頂戴します。来年は教祖百三十年祭ですので、例年は春の学生おぢばがえりという名前でやっているのですが、学生おぢばがえり大会という名前で、一万人動員を目標に学生さんたちががんばっているそうです。
 先日、31日に教区の会議で本部の学生担当委員会の委員長さんが巡回に来てまして、群馬の教会のみなさん、どうぞ学生に声かけてくださいという話がありました。今の学生担当委員長というのが、吉川さんという先生で、我々も聞き覚えのある方で、そういう若い先生が、学生担当委員会の本部の委員長になられているんですね。お声かけくださいと言われてきたもんですから、みなさんも子供さんお孫さん、高校生大学生いらっしゃったら、春に学生おぢばがえり大会というのがあるのでとお伝えください。
 同じ年代の人たちが集まってそして我々ではなかなか理解できない若い世代の、悩んでいる子達が本当に真剣になって神様の前で涙を流して悩みを語り合ったりする時間もあります。
 私たちも現役世代にはそういう姿を色々と見てきました。悩んでいる若い子達も色々と多いんだと思います。同じ世代でなければ分かり合えないような悩みがもしあるのであれば、そういった所に、誘わないまでもひとつ声をかけさせてもらうのも我々の務めなのかと思いましてご紹介いたしました。

 私は高校生大学生のときは学生会、自分なりに頑張っていたつもりであります。
 教会の子供ですから学生会に行けばほめられます。やればやるだけほめられる立場にありました。しかし、学生会というのは、みんな楽しいから来てるわけですから、教会以外の子が多いんです。そうすると、学生会に行くことを反対されるという子が多いんです。
 天理教、宗教のその集まりに行くなんてならん、という親御さんは、なんら不思議はないと思うんです。しかし、本人は楽しいところだから、また神様に触れられる、純粋な信仰を持っていますので出かけたいわけです。で、行くわけです。そこまでして若い人たちが神様の、教祖の元に集まる、というのが学生おぢばがえり大会であります。

【学生会の目的と手段】 
 学生会の話が出ましたので学生会ついでというわけじゃないですが、昔話をひとつしたいと思います。20年前になりますか、教祖110年祭の大会の前だったと思います。天理大学に行っていましたので、天理教学生会の常任委員会というところで一日活動していまして、春の学生会の総会を中心になって運営をする立場にありました。
 学生ですからそんなに力はないんです。さっき言った学生担当委員会の先生方がいらっしゃらなければ何もできないわけです。
 そこでその総会の打ち合わせをしまして、今年は例年通りご本部の中庭で総会をやって、真柱様のお言葉を頂戴して新しい委員長の挨拶をして、総会をやるんだ、できるだろうと思っていたときに、担当委員会の方からストップがかかったことがあります。
 青年会や婦人会は本部の中庭でパイプ椅子いっぱい並べて、北礼拝場の下に演台を並べて、真柱様のお言葉をいただいて委員長の挨拶などやりまして、これ見慣れた光景ですが、それと同じことを学生会もやらせてもらってたんです。それが、ならんという話になりました。ある日突然の話でした。
 
 天理教学生会というのは本部の組織ではないんです。自主的な活動の集まりでしかないんです。当時まだ学生担当委員会すら本部の正式な組織ではなかったので、正式な集団ではないものが、本部の境内地で総会をやって真柱様のお言葉を頂戴するのは、いかがなものかと、こう言われたそうなんです。
 そこで「お前らどうするんや」とこう、言われまして。お前らどうするんやと言われましても、もうずうっと例年それをやらせてもらってきたものですから、我々総会をやるというのはできると思っていましたから、どうするんやと言われて当時委員長と、私副委員長でしたが、非常に悩みました。
 本部から出てきた案は二つでした。
 
 例年通り中庭で総会をやっても良いが、そこに真柱様のご臨席はいただけない。
 もうひとつは、本部の別の施設、境内地の外で総会をやって、そこに真柱様のお出ましをいただくか。それならば許せる。

 というような話が来ました。
 我々学生なりに真剣に悩んだんです。それまで毎年「春の集い」という名前でやっていたんです。
 その話が出てきたのが20年前です。我々は何のために活動するのか。真剣に悩みました。
 春の集いというのは、総会というのは何のためにやるのかと考えまして、その答えは、みな一様に一つでありまして「同じ年代の学生たちが時を同じくしてこのおぢばに帰ってくるんだ」というものでした。
 こどもおぢばがえりの話を私もここで何度もしていますが、こどもおぢばがえりというのはとにかく、子供たちがおぢばに帰ってくるんだ。楽しみに、教祖のお膝元に子供が帰るという、それだけで良いのだ、というそういう行事です。おぢばに帰るというだけで、目的としては十分なんです。
 ですから、春の集いというのは学生のそれだということをほぼ満場一致した意見となりまして。学生おぢばがえりなんだと。本部の中庭で総会をやらせてもらうことは我々の目的ではないんだ。このおぢばに学生が集うのだ。そして道の芯である真柱様から直々にお言葉を頂戴する、それが、我々の目的だと、真剣に話し合って決めました。
 その年、天理教学生会の総会は、本部中庭ではなくて天理大学の体育館を借りて行いました。
 初めてのことでした。悔しい思いも実は我々にはありました。本部の中庭で総会をやらせてもらいたい。新しい委員長があそこで決意を表明したいという思いはありまして、しかしそれは些細なことでありまして、真柱様からお言葉を、学生に、おぢばで、頂戴するということが、大切なことなんだ、それ以外は二の次であるということを我々は確認しあいました。
 その年、天理大学体育館で、無事に、真柱様からお言葉を頂戴することができました。
 間もなく、天理教学生担当委員会が本部の正式な組織になったんだと思うんですが、今ではご本部の中庭で総会を、真柱様ご臨席の下、開催されています。
 実はそういう歴史があるんだよ、ということを紹介したくお話をいたしました。
 これは学生会に限らないことであります。今言ったように少年会のこどもおぢばがえりもそうですし、青年会婦人会の総会や活動においても同じことであります。それぞれの目的があって手段があるということを、信仰者である我々だからこそ、見失ってはいけないのかなあと思います。

【奉献神願とにをいがけ】
 奉献神願のお話をします。
 今月は3605件でした。先月は3630件でした。8月の大教会全体では104287件でした。大教会には約400の教会があります。当教会は400分の1ということになります。パーセントにすると0.3%に相当すると思うんですが、104200件の内、3600件は3.5%に相当します。0.3という数字に対して11倍の数があがったのかなあと思います。
 上級教会には8月7729件だったそうです。ほぼ半分、当教会の皆さんに奉献神願の願いをしていただいたことになります。
 数が多ければいいってもんじゃないんです。ですが、私も日々奉献神願の用紙を書くだけはやろうと思ってやってます。会長になる前くらいから段々枚数が増え始めまして、最初は10枚書こうと思って始めたんですが、今は20件を越える数を日々書いています。
 教祖の逸話の中に、内容ちょっと忘れてしまってすみませんが、お助けいただいた方が、自分のとこに帰って一軒一軒病人探して歩きなさいと言われて、言われたとおりに訪ねて歩くと、病人ばっかりだったという話がありました。教祖に言われた通りに自分が助かったお話を取次いでお願いさせてもらったところ、見る間に助かったというような話があります。
 奉献神願のお願いを日々書いていると、あ、ここにもここにも、この方もこの方も身上がある、事情がある、というのが、気づくようになってくるんですね。ですから、これだけ皆さんが書いていただく中で、この方も助かってもらいたい、この方も助かってもらいたい。それまで気づかなかった方も、こういう事情があるのであれば神様にお願いさせてもらいたいという、その思いが増えて来るんだと思うのです。
 自分が乗っている車と同じ車が街でやたらと目に止まるということありませんか? 妻が妊娠中だとやたらと妊婦さんが目に付く。こんなに妊婦さんていたのかなと思うほどです。でも今はそんなに目に付かない。
 そういうのと同じ気持ちが働くんですね。アンテナだと思うんです。
 おたすけのアンテナなんです。奉献神願のお願いというのは。
 皆さんまさに今書いていただいているその書く前と、大教会長さんに言われて書いている今であれば、おたすけのアンテナというものがかなり伸びてきているんだと思うんです。色んな方角に対しておたすけのアンテナが張り巡らされている状態だと思うんです。
 これが年祭の活動なのかなという風に思います。
 神様に祈る。これは我々信仰者にできることです。とくによふぼくの方はおさづけの取次ぎができるわけです。おさづけの取次ぎができないまでも、日々神様に祈るということをしていただければ、教祖お喜びのことと存じます。

 で、最初に言いましたにをいがけですが、先日大教会の教会長講習会に行ってきまして、その中でものすごいおたすけ人の先生のお話を聞いてきまして、すごすぎて参考にできないんですが、その先生のお話の中で、病気の方と一緒に歩くそうです。
 先生は、にをいがけで、お困りのことありませんかと家に入れます。でもご病気の方はなかなかそこまではできませんからチラシを入れてもらうんだそうです。不在のお宅にチラシを。で、その後です。
 そこまでは私もやってるよ、と思うんですが、その後どうするかと、その先生は、その家がご家族が幸せであるように、神様に教祖にお祈りをしなさい、チラシを入れたら、ご家族の幸せを祈って次のお宅に行きなさいとお話しをされるそうです。
 祈ると言うことは我々信仰者にできることであります。
 一軒一軒の、顔を知らなくとも、その家の方のことを祈ることもできるわけですので、奉献神願の願いをしたら、一月に一軒、一枚でも結構ですので、チラシを配って、そのお宅の前で手を合わせてみることもひとつのおたすけになるのではないかなと、こんなことを思った次第であります。

 最後になりますが、来月10月は大教会より本年二度目の仕切り丹精の月でございますので、それぞれにご協力くださいますように、お願いを申し上げます。
 ありがとうございました。

178年8月神殿講話 おぢばの魅力と便秘のこと

 ただいまは結構に、当教会の8月の月次祭のおつとめを、ともどもに結構につとめさせていただきまして誠にありがとうございます。神殿講話をつとめさせていただきます。
 祭文にも奏上しましたが、7月27、28、29日とこどもおぢばがえりに行って参りました。今年もマイクロバスを出せまして、少年会員10名と、育成会員10名、計20名で行ってまいりました。
 期間中大きなトラブルもなく、体調に不安のある方もいらっしゃいましたが、一緒におぢばを参拝してひのきしんをして帰ってこれました。大変嬉しく思います。

 私も団体の引率がまだまだ未熟で毎年反省材料が増えるんですが、今年は日程にゆとりを持ってなるべくみんなで動けるといいなと思っていたんですが、大体そのとおりになって嬉しく思っています。
 帰ってきた次の日から中学生二人が少年ひのきしん隊に出発しました。30日から6泊7日間、親元を離れて、13歳の子達がおぢばで合宿をしてまいりました。少年ひのきしん隊というのは全員中学生です。私は高校生から経験あるのですが、高校生ともなれば一週間親元を離れて合宿というのはある程度心配ないですが、中学生というのは本人たちも、預ける親の側にも不安もありますし、まだまだ不安定な部分もありますし、私もバスで送り迎えをさせてもらいながら隊員の中学生たちを見て、やっぱり中学生の年代ですから色々なことが得意不得意がはっきり出ます。
 集団での生活、特に親元を離れての合宿生活に、なかなか馴染めない子もいます。行動をすることが苦手な子もいます。だからこそと言ってあずける親もいるし、ぜひと勧める教会もわけです。ですから万全の受け入れ態勢を敷いてカウンセラーさんとか救護とか色々な本部や教区の先生がご尽力くださいます。
 おぢばのひのきしんというのを見ていますと、非常に大きな声をだして楽しそうにやってるというイメージがありますが、今言ったように色々な子がいます。
 今回も直前に行くことができなくなってしまったようですが、教区の隊員の中にも多動症の子ですとか不登校の子とかもいます。そういう子たちも一週間おぢばでひのきしんさせてもらおうと一生懸命声をかけて行ける時には行って、みんなと同じ暮らしをします。今回その子に関しては直前で都合が悪くなって行けなかったのですが、そういう子もいます。

 だから、声が出せなくて後ろのほうで一人でいる子もいるんです。お茶接待しながら。パレードに出るのが嫌で嫌で仕方ないと。そういう子もいるんです。そんな一週間を過ごしてくるんです。
 私は帰りも迎えのバスの運転手をやらせてもらっているんですが、そこでみんなが書いた感想文をいち早く見せてもらうことができました。自分は人見知りだしこういう生活に慣れなくて辛かったと、楽しいということをなかなか書けない子もいるんです。ですけど、みな一様に書いてあることがありました。こんなことあるのかと不思議になるくらい、書かされているんじゃないかと思いました。みんな、お茶のひのきしん楽しかったって書いてあるんです。おそらく全員書いてあったと思います。
 これはなんでかな、と思ってよく読んでみたのですが、ありがとう、おいしかったありがとう、ごくろうさま、と言われるのが嬉しくてたまらないようなんです。中学生たち。これはすごいことだなあと思ったんです。
 うちの長男みたいなのは特にそうなんですけど、大きな声を出して声を枯らしてみんなの前でやってる子、だけではなく、なかなか大きな声を出せない前に出れないけれども、お茶を飲みに来てくれた小さい子に触れ合って、または大人の人に感謝の声をかけられて、嬉しかったというんです。
 これは、おぢばの最大の魅力なんだと思うんです。これは中学生も大人も、男子も女子も関係ないことなんだと思いました。
 そんなことを中学生の子達に教えられたいい夏休みだなあと思いました。どうぞねぎらいの声をかけていただけたらと思います。

 時まさに教祖百三十年祭まで半年ですよ、とおぢばに行きますとそういう声をよく聞きます。
 この旬とはたすけの旬たすかる旬だよと言われています。
 あと2ヶ月で諭達が発布されてから3年となります。
 これだけ身近でたすかりの姿を見せていただきますと、自分の経験の中から数少ないものをお話しないといけないんですが、つい最近、ある方から大腸に不安があるという話を聞きました。
 検査をしたらしいです。その人がおぢばがえりをしてきたからだと思うんですが、結果はおかげで大きな異常はなかったということでした。
 私たちはおぢばのご守護、理というものを常にいただいて、今日も月次祭のおつとめをしているわけです。
 今日は私が何年か前に教会長資格検定講習に行って来たときの話です。以前で言う後期講習というものです。
 毎日詰所からおやさとやかたの講習棟に通って、朝づとめの後から夕方までびっしり授業をします。その講習の同じクラスの女の子の話です。
 最初の自己紹介で笑顔がまぶしいくらいに見えた、合唱をやってたということで声に張りもあるし、とてもまじめな、笑顔の素敵な女の子だなという第一印象の子でした。
 
 学校が終わって詰所に帰りながら神殿を参拝しましたら境内地でバッタリ会いまして、少し時間があったので、お茶所で神様の話を、信仰の話をすることになりました。
 聞けば彼女は自分が信仰初代だそうです。高校生のときに街で声をかけられて、当時色々あったので教会に行って話しを聞いて信仰が始まったそうです、今現在は教会で女子青年として住み込んでいる。この講習が終わったら教会で紹介してくださった方と結婚して夫婦で単独布教に出るんです、って言ってました。
 すごいなあと思いまして。とてもじゃないですけど私がなにかを話して聞かせるのもおこがましいと思いました。彼女の所属の教会も上級も非常に立派で勢いのある大きな教会で、これは参ったなと思いましたが、私にも立場もありますから、お話しをさせてもらいました。練り合いをさせてもらいました。
 彼女もにこやかで聞き上手で、ついいらないことまで話をしてしまったんですが、話が終わると「ありがとうございます」なんて丁寧に言われまして、たいした話もしてませんからとんでもないと恐縮をしたものです。私なんかから見ると驚くほどまじめな人だなあと思いました。
 二週間ほどしてまた帰りに一緒になりまして、本通りを歩きながら話をしていたら、相談があるんですと言われました。なんでしょうかと聞きますと、実はおぢばに来てから便秘がひどくてとこう言うんです。
 二週間ですよ。一度も出てないと言うんです。いやいやそれはこんなとこで笑顔で話してることじゃないでしょと思いながら、一大事だけど大丈夫かなあと心配になったんですが、どうですかねえ、と言われますから、どうもこうもないすぐ病院行けと思いましたが、まあ詰所に先生もいて相談もしていることですし、それにしても、ええ? ええ? と戸惑いました。
 飲み食い出入りですよね、みたいな話をしたんです、まあ、くもよみのみことさまです。便秘ですから。くもよみのみこと様。お姿は、うなぎですよ。みたいな話をするんですが、だからどうしたって話です。だからどうしたんだろうなと自分でも思いながら、ちょうどそこで別れる場所まで来たので、それじゃあお大事にと言って別れました。自分は無力だなあと思いました。
 それからまた何日か経ってからだと思うんですが本部の夕づとめの参拝に行きまして、おつとめをしながらふとそのことが頭に浮かびました。こういうときには思案をしないといけないわけです。
 それぞれのケースに応じて思案をしないといけないわけで、あらためて便秘と言うのはどういうことなのか、大腸の働きというのはどういうものなのだろうということを自分の中で考えました。
 出すものがでないわけです。大腸と言うのは、私の認識では排泄物を形成されると同時に、水分とかが吸収される場所だと思うんです。最終的に必要なものを、要らない物を出していくためのところですよね。それがうまくなっていないのかな、という風に思いました。
 ということは、便秘と言うのは、いるものといらないものとの区別が、きちんとついていない状態なのかな、という風に思いました。
 
 第一印象から、ずうっと、その子と話をすればするほど、ほんとに真面目だなという思いが強かったです。しかもその講習が終わったらもう単独布教に行くと言う、そういう最中です。まじめな人であるからこそ、一から十まで目にしたもの聞いたものすべて持って帰ろうとして、ちょっとオーバーワークになってしまっているんじゃないかと。もっとリラックスして、楽しんでおぢばの生活を過ごしてもらいたいなと思ったんです。
 おぢばというのは自分にとって大切なものをくださる所であると同時に、必要なものとそうでないものをきちんと切り分けて教えてくださるところでもあるんじゃないかと、こう思いました。
 彼女は帰りは新幹線で帰ると言っていました。ですから次の日に彼女に会ったときに、話をしました。いるものといらないものがある。新幹線であなたは帰るのに、両手に持って帰る荷物しか持って帰れない。だから、その分のものをしっかり教祖が下さっているわけなので、色んな話を聞く中で、今の自分にとって何が一番大切で必要なのかと言うことを、どうぞ考えて持って帰って、一番持って帰りたいものはなにかという目で、少しおぢばの生活を楽しんでみたらいいんじゃないですかね、というようなことを、少し乱暴でお話をさせてもらいまいした。

 当然、彼女のことですから色々な人にお話を聞かせてもらっておさづけを取次いでもらっていました。私のその話をしたその日におさづけを取次がせてもらいました。一刻を争うような状況かと思いましたのでなんとかなるといいなとお願いをさせてもらいました。
 そうしたところ、翌日の朝学校でお会いしたときに、彼女のほうから、ありがとうございました昨日出るものが出ました、と、嬉しいお話を聞かせてもらうことができました。
 詰所やクラスメイトや色々なかたの願いもありましたし、彼女の通り方が素晴らしかったからでしょうが、私のほうが勉強させてもらったなあと思いました。助ける理が助かるのかなあと思いました。私が、助けてもらったわけです。
 特別なことをする以前に、神様のお働きが自分自分の中に常に満ち溢れているわけです。お相手の中にすでに神様のお働きが満ち溢れているわけですから、そこに思いを致す。またおぢばというのはそういう場所であるわけですから、第一におぢばということを念頭に、ひとことはなしをさせていただければ、じゅうぶんけっこうなおたすけであるんじゃないかと思います。
 以上で終わります。ありがとうございました。