だめのブログ

丸山道慶が書いています

178年8月神殿講話 おぢばの魅力と便秘のこと

 ただいまは結構に、当教会の8月の月次祭のおつとめを、ともどもに結構につとめさせていただきまして誠にありがとうございます。神殿講話をつとめさせていただきます。
 祭文にも奏上しましたが、7月27、28、29日とこどもおぢばがえりに行って参りました。今年もマイクロバスを出せまして、少年会員10名と、育成会員10名、計20名で行ってまいりました。
 期間中大きなトラブルもなく、体調に不安のある方もいらっしゃいましたが、一緒におぢばを参拝してひのきしんをして帰ってこれました。大変嬉しく思います。

 私も団体の引率がまだまだ未熟で毎年反省材料が増えるんですが、今年は日程にゆとりを持ってなるべくみんなで動けるといいなと思っていたんですが、大体そのとおりになって嬉しく思っています。
 帰ってきた次の日から中学生二人が少年ひのきしん隊に出発しました。30日から6泊7日間、親元を離れて、13歳の子達がおぢばで合宿をしてまいりました。少年ひのきしん隊というのは全員中学生です。私は高校生から経験あるのですが、高校生ともなれば一週間親元を離れて合宿というのはある程度心配ないですが、中学生というのは本人たちも、預ける親の側にも不安もありますし、まだまだ不安定な部分もありますし、私もバスで送り迎えをさせてもらいながら隊員の中学生たちを見て、やっぱり中学生の年代ですから色々なことが得意不得意がはっきり出ます。
 集団での生活、特に親元を離れての合宿生活に、なかなか馴染めない子もいます。行動をすることが苦手な子もいます。だからこそと言ってあずける親もいるし、ぜひと勧める教会もわけです。ですから万全の受け入れ態勢を敷いてカウンセラーさんとか救護とか色々な本部や教区の先生がご尽力くださいます。
 おぢばのひのきしんというのを見ていますと、非常に大きな声をだして楽しそうにやってるというイメージがありますが、今言ったように色々な子がいます。
 今回も直前に行くことができなくなってしまったようですが、教区の隊員の中にも多動症の子ですとか不登校の子とかもいます。そういう子たちも一週間おぢばでひのきしんさせてもらおうと一生懸命声をかけて行ける時には行って、みんなと同じ暮らしをします。今回その子に関しては直前で都合が悪くなって行けなかったのですが、そういう子もいます。

 だから、声が出せなくて後ろのほうで一人でいる子もいるんです。お茶接待しながら。パレードに出るのが嫌で嫌で仕方ないと。そういう子もいるんです。そんな一週間を過ごしてくるんです。
 私は帰りも迎えのバスの運転手をやらせてもらっているんですが、そこでみんなが書いた感想文をいち早く見せてもらうことができました。自分は人見知りだしこういう生活に慣れなくて辛かったと、楽しいということをなかなか書けない子もいるんです。ですけど、みな一様に書いてあることがありました。こんなことあるのかと不思議になるくらい、書かされているんじゃないかと思いました。みんな、お茶のひのきしん楽しかったって書いてあるんです。おそらく全員書いてあったと思います。
 これはなんでかな、と思ってよく読んでみたのですが、ありがとう、おいしかったありがとう、ごくろうさま、と言われるのが嬉しくてたまらないようなんです。中学生たち。これはすごいことだなあと思ったんです。
 うちの長男みたいなのは特にそうなんですけど、大きな声を出して声を枯らしてみんなの前でやってる子、だけではなく、なかなか大きな声を出せない前に出れないけれども、お茶を飲みに来てくれた小さい子に触れ合って、または大人の人に感謝の声をかけられて、嬉しかったというんです。
 これは、おぢばの最大の魅力なんだと思うんです。これは中学生も大人も、男子も女子も関係ないことなんだと思いました。
 そんなことを中学生の子達に教えられたいい夏休みだなあと思いました。どうぞねぎらいの声をかけていただけたらと思います。

 時まさに教祖百三十年祭まで半年ですよ、とおぢばに行きますとそういう声をよく聞きます。
 この旬とはたすけの旬たすかる旬だよと言われています。
 あと2ヶ月で諭達が発布されてから3年となります。
 これだけ身近でたすかりの姿を見せていただきますと、自分の経験の中から数少ないものをお話しないといけないんですが、つい最近、ある方から大腸に不安があるという話を聞きました。
 検査をしたらしいです。その人がおぢばがえりをしてきたからだと思うんですが、結果はおかげで大きな異常はなかったということでした。
 私たちはおぢばのご守護、理というものを常にいただいて、今日も月次祭のおつとめをしているわけです。
 今日は私が何年か前に教会長資格検定講習に行って来たときの話です。以前で言う後期講習というものです。
 毎日詰所からおやさとやかたの講習棟に通って、朝づとめの後から夕方までびっしり授業をします。その講習の同じクラスの女の子の話です。
 最初の自己紹介で笑顔がまぶしいくらいに見えた、合唱をやってたということで声に張りもあるし、とてもまじめな、笑顔の素敵な女の子だなという第一印象の子でした。
 
 学校が終わって詰所に帰りながら神殿を参拝しましたら境内地でバッタリ会いまして、少し時間があったので、お茶所で神様の話を、信仰の話をすることになりました。
 聞けば彼女は自分が信仰初代だそうです。高校生のときに街で声をかけられて、当時色々あったので教会に行って話しを聞いて信仰が始まったそうです、今現在は教会で女子青年として住み込んでいる。この講習が終わったら教会で紹介してくださった方と結婚して夫婦で単独布教に出るんです、って言ってました。
 すごいなあと思いまして。とてもじゃないですけど私がなにかを話して聞かせるのもおこがましいと思いました。彼女の所属の教会も上級も非常に立派で勢いのある大きな教会で、これは参ったなと思いましたが、私にも立場もありますから、お話しをさせてもらいました。練り合いをさせてもらいました。
 彼女もにこやかで聞き上手で、ついいらないことまで話をしてしまったんですが、話が終わると「ありがとうございます」なんて丁寧に言われまして、たいした話もしてませんからとんでもないと恐縮をしたものです。私なんかから見ると驚くほどまじめな人だなあと思いました。
 二週間ほどしてまた帰りに一緒になりまして、本通りを歩きながら話をしていたら、相談があるんですと言われました。なんでしょうかと聞きますと、実はおぢばに来てから便秘がひどくてとこう言うんです。
 二週間ですよ。一度も出てないと言うんです。いやいやそれはこんなとこで笑顔で話してることじゃないでしょと思いながら、一大事だけど大丈夫かなあと心配になったんですが、どうですかねえ、と言われますから、どうもこうもないすぐ病院行けと思いましたが、まあ詰所に先生もいて相談もしていることですし、それにしても、ええ? ええ? と戸惑いました。
 飲み食い出入りですよね、みたいな話をしたんです、まあ、くもよみのみことさまです。便秘ですから。くもよみのみこと様。お姿は、うなぎですよ。みたいな話をするんですが、だからどうしたって話です。だからどうしたんだろうなと自分でも思いながら、ちょうどそこで別れる場所まで来たので、それじゃあお大事にと言って別れました。自分は無力だなあと思いました。
 それからまた何日か経ってからだと思うんですが本部の夕づとめの参拝に行きまして、おつとめをしながらふとそのことが頭に浮かびました。こういうときには思案をしないといけないわけです。
 それぞれのケースに応じて思案をしないといけないわけで、あらためて便秘と言うのはどういうことなのか、大腸の働きというのはどういうものなのだろうということを自分の中で考えました。
 出すものがでないわけです。大腸と言うのは、私の認識では排泄物を形成されると同時に、水分とかが吸収される場所だと思うんです。最終的に必要なものを、要らない物を出していくためのところですよね。それがうまくなっていないのかな、という風に思いました。
 ということは、便秘と言うのは、いるものといらないものとの区別が、きちんとついていない状態なのかな、という風に思いました。
 
 第一印象から、ずうっと、その子と話をすればするほど、ほんとに真面目だなという思いが強かったです。しかもその講習が終わったらもう単独布教に行くと言う、そういう最中です。まじめな人であるからこそ、一から十まで目にしたもの聞いたものすべて持って帰ろうとして、ちょっとオーバーワークになってしまっているんじゃないかと。もっとリラックスして、楽しんでおぢばの生活を過ごしてもらいたいなと思ったんです。
 おぢばというのは自分にとって大切なものをくださる所であると同時に、必要なものとそうでないものをきちんと切り分けて教えてくださるところでもあるんじゃないかと、こう思いました。
 彼女は帰りは新幹線で帰ると言っていました。ですから次の日に彼女に会ったときに、話をしました。いるものといらないものがある。新幹線であなたは帰るのに、両手に持って帰る荷物しか持って帰れない。だから、その分のものをしっかり教祖が下さっているわけなので、色んな話を聞く中で、今の自分にとって何が一番大切で必要なのかと言うことを、どうぞ考えて持って帰って、一番持って帰りたいものはなにかという目で、少しおぢばの生活を楽しんでみたらいいんじゃないですかね、というようなことを、少し乱暴でお話をさせてもらいまいした。

 当然、彼女のことですから色々な人にお話を聞かせてもらっておさづけを取次いでもらっていました。私のその話をしたその日におさづけを取次がせてもらいました。一刻を争うような状況かと思いましたのでなんとかなるといいなとお願いをさせてもらいました。
 そうしたところ、翌日の朝学校でお会いしたときに、彼女のほうから、ありがとうございました昨日出るものが出ました、と、嬉しいお話を聞かせてもらうことができました。
 詰所やクラスメイトや色々なかたの願いもありましたし、彼女の通り方が素晴らしかったからでしょうが、私のほうが勉強させてもらったなあと思いました。助ける理が助かるのかなあと思いました。私が、助けてもらったわけです。
 特別なことをする以前に、神様のお働きが自分自分の中に常に満ち溢れているわけです。お相手の中にすでに神様のお働きが満ち溢れているわけですから、そこに思いを致す。またおぢばというのはそういう場所であるわけですから、第一におぢばということを念頭に、ひとことはなしをさせていただければ、じゅうぶんけっこうなおたすけであるんじゃないかと思います。
 以上で終わります。ありがとうございました。