だめのブログ

丸山道慶が書いています

178年9月神殿講話 学生おぢばがえり大会と、手段と目的と

 ただいま結構に9月の月次祭のおつとめをつとめさせていただきました。初めての役割を勤めてくださる方も多く不安も実はありましたが、調子も非常に良く音の大きさも素晴らしく、気持ちの良いおつとめをつとめさせていただけたと思います。親神様教祖も大変お喜びのことと思います。
 おつとめの前に一言申し上げましたが、昨日からの雨で、今も栃木県茨城県に甚大な被害が出ております。我々は事なきを得てよかったな、だけではなく、そのお礼も込めながら、お隣ですから、被害に遭われた方が早く助かるように、今後長い時間をかけた復旧復興になりますが、その復旧も事故なくすすめられるよう、そんなお願いをおつとめにのせさせていただけるというのも、これも、我々信仰者のつとめですので、本日素晴らしいおつとめをつとめさせていただけたこと、喜ばしく思います。ありがとうございます。
 神殿講話をつとめさせていただきます。

【ご連絡】
 ご連絡が多いのですが、9月13日には支部のひのきしん日です。今月は少年会のひのきしん日ですので、子供さんも奮ってご参加ください。
 19日は例年通り、秋の霊祭をつとめさせていただきます。

 今月は、祭文にも書きましたが、にをいがけ強調月間です。特に28、29、30の三日間をにをいがけデーということになっています。春にはひのきしんデーがありますが、秋はにをいがけデーです。
 そのうち28日は教会長路傍講演の日というのになっていまして、支部でもこの日は会長さんたち集まって路傍講演をやっています。よろしければ見物にでも来て下さい。
 次の日29日が支部のにをいがけデーになってますので、ご都合の付く方はぜひご参加ください。
 その日に限ることでもありませんので、大教会で作ってくれた良いパンフレットがありますので、お時間のあるときに活用してくださると幸いです。
 奉献神願ですが、今月は3605件のお願いを皆様からお預かりしました。
 奉献神願というのは、神様へおたすけの助かりのお願いをさせていただいて、月次祭のおつとめをさせていただく。また日々神様にお願いをするということなんですが、そこにもう一つ真実を添えさせていただきましょう、と大教会長さんが仰るわけです。
 その真実とは何かと申せば、教祖のお喜びくださる行い、それは何かと、これは、神様の教えをまだ知らない人たちに教えてあるく、にをいがけの姿。これが、教祖のお喜びくださる姿を、おつとめに添えて真実のお供えをしようとこういうで、にをいがけの年祭活動の一つとなっておりますのでよろしくお願いします。奉献神願の話はまた後で少し触れます。

【道の学生おぢばがえり大会】
 すこし先の話になりますが、来年の春、学生おぢばがえり大会というのが3月に開催されます。3月の28日というのは毎年天理教学生会の総会がおぢばで開催されてます。
 例年4000人から5000人くらいの参加者が集まって、お祭り騒ぎをしたりそして、真柱様から道の学生に向けたお話を直々に頂戴します。来年は教祖百三十年祭ですので、例年は春の学生おぢばがえりという名前でやっているのですが、学生おぢばがえり大会という名前で、一万人動員を目標に学生さんたちががんばっているそうです。
 先日、31日に教区の会議で本部の学生担当委員会の委員長さんが巡回に来てまして、群馬の教会のみなさん、どうぞ学生に声かけてくださいという話がありました。今の学生担当委員長というのが、吉川さんという先生で、我々も聞き覚えのある方で、そういう若い先生が、学生担当委員会の本部の委員長になられているんですね。お声かけくださいと言われてきたもんですから、みなさんも子供さんお孫さん、高校生大学生いらっしゃったら、春に学生おぢばがえり大会というのがあるのでとお伝えください。
 同じ年代の人たちが集まってそして我々ではなかなか理解できない若い世代の、悩んでいる子達が本当に真剣になって神様の前で涙を流して悩みを語り合ったりする時間もあります。
 私たちも現役世代にはそういう姿を色々と見てきました。悩んでいる若い子達も色々と多いんだと思います。同じ世代でなければ分かり合えないような悩みがもしあるのであれば、そういった所に、誘わないまでもひとつ声をかけさせてもらうのも我々の務めなのかと思いましてご紹介いたしました。

 私は高校生大学生のときは学生会、自分なりに頑張っていたつもりであります。
 教会の子供ですから学生会に行けばほめられます。やればやるだけほめられる立場にありました。しかし、学生会というのは、みんな楽しいから来てるわけですから、教会以外の子が多いんです。そうすると、学生会に行くことを反対されるという子が多いんです。
 天理教、宗教のその集まりに行くなんてならん、という親御さんは、なんら不思議はないと思うんです。しかし、本人は楽しいところだから、また神様に触れられる、純粋な信仰を持っていますので出かけたいわけです。で、行くわけです。そこまでして若い人たちが神様の、教祖の元に集まる、というのが学生おぢばがえり大会であります。

【学生会の目的と手段】 
 学生会の話が出ましたので学生会ついでというわけじゃないですが、昔話をひとつしたいと思います。20年前になりますか、教祖110年祭の大会の前だったと思います。天理大学に行っていましたので、天理教学生会の常任委員会というところで一日活動していまして、春の学生会の総会を中心になって運営をする立場にありました。
 学生ですからそんなに力はないんです。さっき言った学生担当委員会の先生方がいらっしゃらなければ何もできないわけです。
 そこでその総会の打ち合わせをしまして、今年は例年通りご本部の中庭で総会をやって、真柱様のお言葉を頂戴して新しい委員長の挨拶をして、総会をやるんだ、できるだろうと思っていたときに、担当委員会の方からストップがかかったことがあります。
 青年会や婦人会は本部の中庭でパイプ椅子いっぱい並べて、北礼拝場の下に演台を並べて、真柱様のお言葉をいただいて委員長の挨拶などやりまして、これ見慣れた光景ですが、それと同じことを学生会もやらせてもらってたんです。それが、ならんという話になりました。ある日突然の話でした。
 
 天理教学生会というのは本部の組織ではないんです。自主的な活動の集まりでしかないんです。当時まだ学生担当委員会すら本部の正式な組織ではなかったので、正式な集団ではないものが、本部の境内地で総会をやって真柱様のお言葉を頂戴するのは、いかがなものかと、こう言われたそうなんです。
 そこで「お前らどうするんや」とこう、言われまして。お前らどうするんやと言われましても、もうずうっと例年それをやらせてもらってきたものですから、我々総会をやるというのはできると思っていましたから、どうするんやと言われて当時委員長と、私副委員長でしたが、非常に悩みました。
 本部から出てきた案は二つでした。
 
 例年通り中庭で総会をやっても良いが、そこに真柱様のご臨席はいただけない。
 もうひとつは、本部の別の施設、境内地の外で総会をやって、そこに真柱様のお出ましをいただくか。それならば許せる。

 というような話が来ました。
 我々学生なりに真剣に悩んだんです。それまで毎年「春の集い」という名前でやっていたんです。
 その話が出てきたのが20年前です。我々は何のために活動するのか。真剣に悩みました。
 春の集いというのは、総会というのは何のためにやるのかと考えまして、その答えは、みな一様に一つでありまして「同じ年代の学生たちが時を同じくしてこのおぢばに帰ってくるんだ」というものでした。
 こどもおぢばがえりの話を私もここで何度もしていますが、こどもおぢばがえりというのはとにかく、子供たちがおぢばに帰ってくるんだ。楽しみに、教祖のお膝元に子供が帰るという、それだけで良いのだ、というそういう行事です。おぢばに帰るというだけで、目的としては十分なんです。
 ですから、春の集いというのは学生のそれだということをほぼ満場一致した意見となりまして。学生おぢばがえりなんだと。本部の中庭で総会をやらせてもらうことは我々の目的ではないんだ。このおぢばに学生が集うのだ。そして道の芯である真柱様から直々にお言葉を頂戴する、それが、我々の目的だと、真剣に話し合って決めました。
 その年、天理教学生会の総会は、本部中庭ではなくて天理大学の体育館を借りて行いました。
 初めてのことでした。悔しい思いも実は我々にはありました。本部の中庭で総会をやらせてもらいたい。新しい委員長があそこで決意を表明したいという思いはありまして、しかしそれは些細なことでありまして、真柱様からお言葉を、学生に、おぢばで、頂戴するということが、大切なことなんだ、それ以外は二の次であるということを我々は確認しあいました。
 その年、天理大学体育館で、無事に、真柱様からお言葉を頂戴することができました。
 間もなく、天理教学生担当委員会が本部の正式な組織になったんだと思うんですが、今ではご本部の中庭で総会を、真柱様ご臨席の下、開催されています。
 実はそういう歴史があるんだよ、ということを紹介したくお話をいたしました。
 これは学生会に限らないことであります。今言ったように少年会のこどもおぢばがえりもそうですし、青年会婦人会の総会や活動においても同じことであります。それぞれの目的があって手段があるということを、信仰者である我々だからこそ、見失ってはいけないのかなあと思います。

【奉献神願とにをいがけ】
 奉献神願のお話をします。
 今月は3605件でした。先月は3630件でした。8月の大教会全体では104287件でした。大教会には約400の教会があります。当教会は400分の1ということになります。パーセントにすると0.3%に相当すると思うんですが、104200件の内、3600件は3.5%に相当します。0.3という数字に対して11倍の数があがったのかなあと思います。
 上級教会には8月7729件だったそうです。ほぼ半分、当教会の皆さんに奉献神願の願いをしていただいたことになります。
 数が多ければいいってもんじゃないんです。ですが、私も日々奉献神願の用紙を書くだけはやろうと思ってやってます。会長になる前くらいから段々枚数が増え始めまして、最初は10枚書こうと思って始めたんですが、今は20件を越える数を日々書いています。
 教祖の逸話の中に、内容ちょっと忘れてしまってすみませんが、お助けいただいた方が、自分のとこに帰って一軒一軒病人探して歩きなさいと言われて、言われたとおりに訪ねて歩くと、病人ばっかりだったという話がありました。教祖に言われた通りに自分が助かったお話を取次いでお願いさせてもらったところ、見る間に助かったというような話があります。
 奉献神願のお願いを日々書いていると、あ、ここにもここにも、この方もこの方も身上がある、事情がある、というのが、気づくようになってくるんですね。ですから、これだけ皆さんが書いていただく中で、この方も助かってもらいたい、この方も助かってもらいたい。それまで気づかなかった方も、こういう事情があるのであれば神様にお願いさせてもらいたいという、その思いが増えて来るんだと思うのです。
 自分が乗っている車と同じ車が街でやたらと目に止まるということありませんか? 妻が妊娠中だとやたらと妊婦さんが目に付く。こんなに妊婦さんていたのかなと思うほどです。でも今はそんなに目に付かない。
 そういうのと同じ気持ちが働くんですね。アンテナだと思うんです。
 おたすけのアンテナなんです。奉献神願のお願いというのは。
 皆さんまさに今書いていただいているその書く前と、大教会長さんに言われて書いている今であれば、おたすけのアンテナというものがかなり伸びてきているんだと思うんです。色んな方角に対しておたすけのアンテナが張り巡らされている状態だと思うんです。
 これが年祭の活動なのかなという風に思います。
 神様に祈る。これは我々信仰者にできることです。とくによふぼくの方はおさづけの取次ぎができるわけです。おさづけの取次ぎができないまでも、日々神様に祈るということをしていただければ、教祖お喜びのことと存じます。

 で、最初に言いましたにをいがけですが、先日大教会の教会長講習会に行ってきまして、その中でものすごいおたすけ人の先生のお話を聞いてきまして、すごすぎて参考にできないんですが、その先生のお話の中で、病気の方と一緒に歩くそうです。
 先生は、にをいがけで、お困りのことありませんかと家に入れます。でもご病気の方はなかなかそこまではできませんからチラシを入れてもらうんだそうです。不在のお宅にチラシを。で、その後です。
 そこまでは私もやってるよ、と思うんですが、その後どうするかと、その先生は、その家がご家族が幸せであるように、神様に教祖にお祈りをしなさい、チラシを入れたら、ご家族の幸せを祈って次のお宅に行きなさいとお話しをされるそうです。
 祈ると言うことは我々信仰者にできることであります。
 一軒一軒の、顔を知らなくとも、その家の方のことを祈ることもできるわけですので、奉献神願の願いをしたら、一月に一軒、一枚でも結構ですので、チラシを配って、そのお宅の前で手を合わせてみることもひとつのおたすけになるのではないかなと、こんなことを思った次第であります。

 最後になりますが、来月10月は大教会より本年二度目の仕切り丹精の月でございますので、それぞれにご協力くださいますように、お願いを申し上げます。
 ありがとうございました。