某T理時報に記事を書いたら跡形もなく整えてもらった話
昨年のことですが、T理時報からなぜか記事を書けというお声をいただきまして、某コーナーに記事を書かせてもらいました。
好きに書いて良いというので好きに書いたところ、ものの見事に跡形もなくなりましたので、元の記事をここに記録しておきたいと思います。
==以下元ネタ==
第6号38
くもよみとかしこねへとをふとのべ
たいしよく天とよせた事なら
雨の匂いとか雨の連れてくる静けさとか雨音とか、雨を好きな理由 を色々考えたりする。なんとなくいい人っぽく見えるのではないか と思うから。
雨はありがたいことは周知だが、面倒くさいと思ってしまう現実は 、いくつになってもなくならない。
雨っていいよね、とか言うだけで、ちょっとモテるんじゃないかと 思う。
水は高い所から低い所へ流れる。当たり前だ。小学生でも知ってる 。
しかし、山から海へ向かって、徐々に川が坂になっているのも不思 議でならない。不思議だけれど水が流れていく以上、山から海まで 坂になっているのだろう。
大人になってからもそんなことを考えながら生きていたら、 ある日雨が降ってきた。ああ雨だと思った。
空を見上げるとどんよりとした空からまんべんなく雨粒が落ちてき た。屋根よりも、ビルよりも、あの山よりも高い所から、水が降っ て来ている。
すげえ!水が!空から!降ってくる!
高い所から低い所へ流れる水が、はるか上空から落ちてくるなんて 奇跡じゃないかと、いい歳になって初めて気づいた。
「高い山から川が海に注ぐ」「温められた海水が上空で雲になって 雨として降ってくる」「降った雨が海に注ぐ」「 海水が温められて(略)」
そんな夢の永久機関は、神様のご守護以外にない。
24時間365日目の当たりにする神様のご守護も、おふでさきに 教えてくださっている。
教祖の深く広い親心は、ただありがたくもったいない。
==以上元ネタ==