だめのブログ

丸山道慶が書いています

2018年11月【教会たよりより】

十月は大教会として仕切丹精月とお定めいただき、時を仕切っての御供をお願いいたしました。皆様からの御供は、上級を通じて大教会へお届けいたしました。

誠にありがとうございます。

九月末の台風で、大教会の神殿屋根にも被害があったようですが、大きな混乱もなくありがたく思います。

 

おぢばがえり】

 お道の信仰者の行動の原点はおぢばがえりにあると思っています。お礼がしたい、お願いがしたい、身上や事情に悩む時、まずおぢばに帰れるだろうか、と思い浮かべます。

 しかし現実には、なかなかおぢばがえりができないので、おぢばがえりをする時間や身体のはたらきを、それぞれの教会への参拝、ひのきしんに御供させていただいたり、それも難しいときには、その間働かせてもらって得たものを、神様に御供させていただいたりするのです。

 まずおぢばがえりを想定し、難しいときにはそれに代わって、ひのきしんや物による御供をさせていただくことが、順序だと思います。第一にまず、おぢばなのです。

【定めと真実】

世の中の決まりを決める政治は、第一に予算を組むことと言っても良いと思います。優先順位を決め、配分することも、大きな決定事項でしょう。

家庭内においても同じで、一定の収入から、優先順位で支出を決めていきます。

その時にまず、神様への御供を、定めた分をお初にとらせていただき、それから家族に使わせていただくことも、信仰の姿だと思います。

家族に配分して残ったら神様に御供しよう、ではなく、まず神様に、定めた分を御供させていただきます。

苦しい事情の中でも、定めて通る中に、必要な分はお与えくださる神様のありがたいご守護に、必ずお連れ通りいただけるものと思います。

 

ある先生が、「真実は長い間通ってお受け取りいただくものだが、今、まさにすぐにお届けできる真実となると、物や金銭の御供と言ってよいと思う」とお聞かせくださいました。御供は、まさに真実を、神様にお届けするものなのです。