だめのブログ

丸山道慶が書いています

178年2月 神殿講話(おぢばというところとおぢばかえり)

 ただいまは二月の月次祭のおつとめを共々に結構につとめさせていただきましてありがとうございます。
 神殿講話をつとめさせていただきます。

 一昨日、2月の8日の日曜日、おつとめ練習をさせていただきました。総勢16名で、子供を中心におつとめ、鳴り物練習をさせていただきました。少年会は春に総会を控えているので頑張ってくれていますが、どうぞ大人の方もご参加いただきたいと思います。
 1月の26日がご本部の春の大祭です。当教会では4月につとめますが、1月26日、おぢばがえりをしてまいりました。
 続く2月5日が大教会の神殿奉仕の当番にあたっていましたので大教会に行ってまいりました。
 間に教区の少年会の行事があって、お世話どりのひのきしんをさせていただいてました。

 そんな一ヶ月だったんですが、ありがたいことに今年に入って二度、大教会長様の講話を聞く機会を与えていただきました。
 一度目は上級の大祭に巡教くださいました。二度目はおぢばの詰所で年頭のご挨拶をくださったものを、同じお話を繰り返し聞かせていただきました。
 特に大教会長様が仰るのに、手段と目的というのがあるのでそれをしっかり捉えて歩んでもらいたいと、特に年祭の最後の一年ですので、なんのために年祭をやるのか、そのためには何をしなければいけないのかということをよく考えて一年頑張って通らせてもらいましょう、という話を聞かせてもらいました。

 教祖の年祭を一年後に控えたこの旬に、年祭って一体何だっていうことを改めて我々は考えないといけないのかと思います。
 年祭というのは何のためにやるのかということはそれは、教祖にお喜びいただくわけです。十年に一度というこのタイミングを仕切って、その時にみんなで教祖にお喜びいただく。教祖の年祭なわけですから、現身をお隠しになったその日を祈念して、十年に一度、仕切って教祖にお喜びいただこうというのが、年祭の目的であります。
 教祖がお喜びくださることはなんだろう、と考えた時に、それは、おたすけだ。陽気ぐらしの世の中を実現したい、世界いちれつ助けたいと五十年のひながたをお見せくださった教祖がお喜びになるのは、これは、助けあう姿。陽気ぐらしの世の中であります。
 しかし現状、陽気ぐらしにはまだまだほど遠いニュースが毎日テレビから流れてくるわけでありますから、先んじてお道の話、教祖のお話を聞かせてもらった我々は、特におさづけの理を頂戴したよふぼくは、率先しておたすけに励んでもらいたい。それがいわゆる年祭活動だと思うんですね。
 じゃあそれを、がんばりましょう、と言われた時に、何をしますか? という時に、まあ本題に入りますと、祭文にも奏上しましたが、4月に教会でおぢばがえりをしましょうということで決定いたしました。

 上級の会長さんと相談させてもらいまして、マイクロバスをレンタルしまして、一同でおぢばがえりをしましょう、ということを決めました。
 これは、大教会長様が、4月18、19日誕生祭、25、26日月次祭が土日ですので、別席団参をやってもらいたいとおっしゃいまして、その旬におぢばがえりをさせてもらいましょうと考えたものです。
 来年の1月26日を百三十年祭ということで勤められるわけなんですが、春の大祭ですが、ある意味でこれはイベントであります。そのイベントに向かって3年間頑張って通る、その中の一つとしておぢばがえりをさせてもらおうということです。
 先ほど言いましたように、教祖がお喜びくださるのは陽気ぐらしの世の中に近づかせてもらう、建て替えていくには、おたすけ、助けあう姿が大事だということと、もうひとつは、おぢばがえりだよね、ということですね。

 前にも少しお話いたしましたが、このお道の信仰というのは、神様にお礼を言うことから始まるわけですよね。なになにしてくださいというお願いより先に、生かされていること、一瞬の隙もなく、この身体、身の内や、世の中の自然全てにおいてご守護くださる、そのご守護に感謝をお礼を申し上げるところから始まるわけであります。
 それが、ひのきしんと言われたり、みなさんが熱心に参拝する姿であったりするわけです。親に喜んでもらうわけですね。
 感謝の気持ちを親に伝えたいわけです。親神様に伝えたいわけです。親が喜んでくれることをしてあげたくなるわけです。それがひのきしんだというわけなんですが、それを突き詰めて行った時に、親が一番してもらって一番嬉しいのはどんなことですか、ということです。
 親として子供にどんなことをされたら嬉しいですか、一番嬉しいのはどんなことかな、と言った時に、たとえば。
 田舎から就職して上京した子供が、初任給をもらったよと言ってお小遣いを送ってくれたら、嬉しいですね。
 またボーナス出たよと言って、なにかプレゼントを送ってくれたら、嬉しいですね。わざわざ休みの日にどこかに出かけてこんなのが好きだったな、似合うだろうなと選んでくれて送ってくれた。嬉しいでしょうねえ。
 または休みがとれたと言って、旅費を使って里帰りをしてきてくれた。何年かして家族が増えた子供ができたと言って帰ってきてくれる。嬉しいですね。

 どれが一番嬉しいですか、って言われたら、多くの親御さんはおそらく、会いに来てくれることが一番嬉しいよ、楽しいよと言ってくれるんだと思います。
 教祖もきっと同じだと思うんです。
 我々には国々所々で与えられた、持ち場、役目があります。それを日日しっかりとつとめさせてもらうのも、もちろん教祖お喜びくださることなんですが、その中においても、教祖に会いに、教祖ご存命でおぢばにいらっしゃるわけですから、その教祖にお目にかかりに行く。忙しい大変な中も、教祖に会いに行く。
 それが一番、親が喜んでくれることなんですから、おぢばがえりをさせてもらうということはそういうことなんです。一番のひのきしんなんです。

 ではおぢばというのはどういう所なのかな、ということをもう一回考えてみますと、おぢばというのは聖地です。神聖なる場所です。人類の発祥の地、ふるさとです。
 聖地ですから我々信仰者にとっては無条件にありがたい場所なんです。それぞれの教団、宗教、教えごとに聖地はあります。聖地と言われる場所は信仰者にとっては誰がなんと言おうがありがたい場所なんです。
 我々お道の信仰者にとってはおぢばというのは、理屈じゃなくとにかくありがたい場所です。これはなぜかと言えば、教祖が神様がそれを教えてくださったからに他ならないわけです。
 
 おぢばがえりというと真っ先に思い浮かぶのが夏のこどもおぢばがえりなんですが、あれも大したものでして、うちの下の子は小学校一年生なんですが、ずっと楽しみにしていて、みんなでおぢばがえりして帰ってくると、帰ってきたその日、次の日から、ああ早く来年のこどもおぢばがえり行きたいなと楽しみにするんですね。
 これはすごいことだと思うんです。おぢばがえりが楽しみだと。まあ、こどもおぢばがえりは楽しいですから。みんなで出かけてみんなで泊まってみんなで遊んでみんなで勉強して。楽しいですよね。
 じゃあなんでそんなに楽しいのか、というか、そんなに楽しい物を用意してるのかなっていうことです。なんでそこまでして子どもたちをおぢばに、我々も連れて行くし、おぢばも招くのかなと。
 楽しいところは他にたくさんあるんです。あんな遠い所行かなくてもいくらでもあるんです。なんでおぢばがえりなのかな、ということになると、それはこどもおぢばがえりが始められた当時を思いますと、二代真柱様が、子供たちもおぢばに帰らせてあげたい。子供にもおぢばでひのきしんをさせてあげたい。ということで、夏休みの期間特別に設けて、子供たちもひのきしんができるようにおぢばで迎えてくださった。そういう環境を整えてくださった。
 それが段々行事が増え、受け入れ態勢も整って、おつとめの練習とか回廊ひのきしんとかお楽しみ行事とかも増えて今のような形になっているわけです。


 大人の信仰者であれば、おぢばありがたいと思うのは当然のことです。真柱様が、教祖に一番近い方だと私は思ってますが、その方が、子供もおぢばに帰らせてあげたい、と思う場所なんです。
 信仰を知ってる知らない関わらず、おぢばに帰ってくるそれだけで意味があることだから、とにかく子供をおぢばに帰らせてあげよう、おぢばに来やすい態勢を全教あげて整えてあげようというのが、これがこどもおぢばがえりでありまして、それが50年以上続いているわけです。
 
 おぢばというのはそういうところなんです。
 なんにも知らない子供でもおぢばに行く、帰るだけでとにかくありがたい場所なんです。

 天理教じゃない、ある教団の方が、天理教こどもおぢばがえりっていいよね、と仰ったそうです。子供のうちから本部に集めて楽しいことたくさんやって、神様のこと教えて、将来的に立派な信仰者に育ってくれる、つまりは立派な大人になるカリキュラムを作ってるわけだから、いいよね、ということで真似をしたことがあったそうです。
 ですがやっぱりできなかったそうです。本部でのイベントをやって子供たちを集める、それはできる。でも続かないです。と。それはなぜかと言えば、我々にはおぢばがないんですとこう仰ったそうです。
 イベントだったらどこでもできるんですが、こどもおぢばがえりというのは、子供を集めて何かを教えるイベントじゃあないんです。子供たちをおぢばに帰らせる、それだけなんです。唯一の目的というのは。
 
 おぢばというのはそういう意味がある所なんです。

 そういうようなことを考えながらしばらくおったんですが、先日みちのともに、本部員先生のお話が載っていまして、その中に三代真柱様、昨年お出直しになりましたが、三代真柱様についておお話をしてくださっていました。
 おぢばに高校がいくつあるか、ご存じですか? おぢばにはお道の高校が、2つあります。天理高校天理教校学園と2つあります。天理高校2部も含めると3つの高校があります。
 あの中に、ご本部の周辺だけで3つの高校があるこれは多すぎると思うところもありますが、それについて三代真柱様が、教校学園の校長先生にこのように仰ったそうです。

「中学までは親の元で育ててもらうのが一番大切や。卒業したら高校生は、わしは、できるだけ多くの者を、このおぢばで、教祖のお膝元で育てたいのや。ぢばの理をたっぷり戴いてもらいたいと思てる。これは理屈抜きや!」

 このように仰ったそうです。中学校までは親元で育てるのが一番大切だ。高校生になったらおぢばで一人でも多くの若者を育てたい。それはなぜか。
 おぢばだからですね。おぢばで生活をする学ぶということは、ぢばの理を戴く。教祖のお膝元で生活をするということですね、それはなぜかといえば、これは理屈抜きや、と三代真柱様がこのように仰ったそうです。
 おぢばというのはどういうところですか、と聞かれれば、おぢばというのはそういうところなんです。

 おぢばというのはありがたい所です。おぢばに行けば教祖にお会いできる。南無天理王命の親神様が鎮座されていて、そのご守護、理をたっぷりいただいて帰ってくることができる、これがおぢばという場所です。

 そのおぢばに、ご一緒に、是非、帰らせていただきたいないうのが今度の4月の団参の思いでありまして、今日はそのお話をさせていただきました。ありがとうございました。