だめのブログ

丸山道慶が書いています

178年6月 神殿講話(妊娠、出産のおたすけとお酒をやめた話

 ただいま結構に当教会の月次祭のおつとめを陽気に結構につとめさせていただきまして誠にありがとうございます。神殿講話をつとめさせていただきます。お付き合いお願いいたします。
 先月は大教会の仕切りの月でして、皆様にもご真実のお供えをいただき、上級を通じて大教会へお届けいたしました。大教会長様ご自身でおぢばへお届けくださるようであります。高いところからではありますが御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
 連絡を申し上げます。6月14日の支部ひのきしんが事情により中止となりました。よろしくお願い申し上げます。7月は予定通り行う予定です。

 6月です。私は実は今年は41、いや、2、42歳になります。昭和48年産まれです。
 実はここ3年ほどお酒を飲んでいないんです。皆さんご存知のことでもあるんですが、なんでお酒をやめたのかという話をします。
 大学時代、寮におりましたので先輩から相当鍛えられてそれからずっとお酒を飲んできたのですが、それをやめました。

【お酒をやめました】
 3年前の2月の末に、前会長さん、当時まだ現職の会長でしたが、前会長さんから、ある日突然おたすけに行ってこいと言われました。
 皆さんご存知でもありますが、今東京にいる、旧姓中谷幸子さん(仮名)さんが、結婚しまして、妊娠したよ、という話は聞いておりました。ご主人も紹介してもらっていた矢先のことで。年齢的にも30後半で、子供ができてよかったなあと思っていました。
 3月の終わりにちょうど六ヶ月になるのでをびや許しをいただきにおぢばがえりをしたいんだという話も聞いていました。
 旦那さんは天理教をまったく知らない人で、その人を連れて一緒にをびや許しをいただきにおぢばがえりをしたいと言っていましたので、私はもう安心して、大丈夫だと思っていました。ですが、どうやら仕事中に出血があり、それ以来調子がよくなくて入退院をくりかえしたりしていたそうです。それでいよいよあまり良くなさそうだということで、「お前ちょっと行ってこい」とこういうことになりました。

 色々お話したいこともあるんですが時間もありますのでかいつまんでの話になりますが、結論としては子宮筋腫でした。それまではそういう診断をされてはいなかったそうですが、そのとき行った病院で初めて、だいぶ大きな子宮筋腫があるということがわかったそうです。今言ったように30歳も後半の初めての出産でその状況というのは非常に危ないというか、安静にしていないといけない状態だということでした。
 お助けと言ってしまうと非常にハードルも高く、私もしたこともなくて、なにからしたらいいのか、とにかくまずはおさづけを取次ぎに行かなければならないわけです。ですが、疎遠にしてるというほどでもないんですがそんなに頻繁に付き合っているという状況でも当時はなかったので、ある日突然明日行くよ、と言ったときに気を使われて「いやいいですいいです」と断られちゃうとまずいなと思いました。
 病気と違って妊娠というのは日数が限られています。胎児というのは日に日に大きくなっていきますから、そういう意味では非常に、私の中では薄氷を踏むような、そんな感じがしていました。
 とっとと電話してとっとと行けばいいんですけど、もし断られてしまったらという心配が先に立ってしまってウロウロしてたんですが、ふとひらめいたのが、子宮筋腫ですよね。子宮筋腫ってなんだろう、と私も知らないのでいろいろ考えたり調べたりしてたんですが、子宮筋腫は至急禁酒だと、いうことです。「至急」急いで「禁酒」お酒をやめなさい、ということかな、と思ったんです。
 ただのダジャレですから、こんなんでいいのかと思いまして、妻に相談しました。「子宮筋腫ってこれ、至急禁酒をしなさいよというかな」と。
 バカなこと言ってるんじゃないよと怒られると思ったんですが、それはおもしろいね、と。私もちょうどしばらくやめたいと思っていたので一緒にやめましょう、ということでした。

【人助けたら我が身助かる】
 そこから始まったのが、私の、お酒をやめる、ということでした。
 このときに思ったのが、私は当時お酒も飲みすぎていたりして調子もよくなかったり身体も壊したりもしてまして、やめるとまではいかなくても減らさなきゃいけないなと思っていた矢先のことでありましたから、教祖が「人助けたら我が身助かる」と仰った、私がその状況でもしお酒をやめることができたら、彼女のおかげで私がやめられたことになる。つまり、彼女が私を助けてくれたことになるんじゃないかな、と思ったんです。
 人助けたら我が身助かる。彼女が私のことを助けてくれたら、彼女が助かるんじゃないかな、と思って、妻と二人でお酒を、無事に出産するまで、出産が済むまでやめよう、ということになりました。

【おさづけの取次のとき、どんな願いを】
 それで、電話をしたら快く、ぜひ来てくださいと言ってもらったので、東京まで妻と二人で出かけました。私はもうこれは大丈夫だろうなと思いました。もう、無事に、あざやかご守護と思って出かけて、電車に乗って乗り換えの駅に着いたら彼女から電話がかかってきました。
「せっかく来てもらったとこ悪いけど、急にお腹の調子が悪くなったので病院に来て今検査をしてもらってるので、今日は来てもらうことできなくなった」
 とこう言われました。東京のど真ん中で途方にくれまして。仕方ないから帰ろうかと思った時、ふと彼女のお母さんの顔が浮かびましたので電話しまして「こういうわけなので出直そうと思うんです」と言ったら、ちょっと残念だな、という感じでしたので、「病院でもわかれば探して行ってみますけど」と言ったら病院がわかりまして、病院の場所調べて向かいました。
 ただし、都会の病院で、家族でもない人間が突然訪ねて行って、教えてくれるかどうかわからないですよね。個人情報というのがありますから。いるかどうかもわからない状況でとにかく行って、受付でおそるおそる聞きましたら、なんと快くすんなり教えてくれまして、「検査入院をすることになりました」ということでした。
 病室に案内されて無事会えました。割と元気な顔をしていてよかったと安心しまして、じゃあおさづけを取り次がせてもらおうと思ったんですが、この時困りました。

 それまで電話とかで色々聞かせてもらっていて、お腹の赤ちゃんが1000グラムにまでなったら手術というか出産をしましょう、とお医者さんから言われていたそうです。1000グラム。超未熟児です。私はその話を聞いたときに冷や汗が出ました。
 ということは、1000グラムになるまでお腹に置いておけなかったら、ダメだよ、ということですよね。
 それがをびや許しをいただいた後であれば、「神様からをびや許しをいただいているんだから大丈夫だよ」と言えるんですが、をびやの前の話ですから、どうしようかなと。
 たとえば、子宮筋腫をなくしてくださいとか治してくださいとか、そんなことはさすがにお願いできないですよ。あるものを無くして下さいとはお願いできないです。何をどうお願いしたらいいのかな、とその時になってようやく考えはじめたんです。私の力で、というか、今、お願いできるのは何か、と考えたんです。
 そしたらとにかく、をびや許しをいただくしかない、と思ったんです。
 3月の初旬だったと思うんですが、まだ寒かったその日に、初めておさづけを取り次いだ時に、親神様、教祖に、「3月の末にをびや許しをいただきにご家族がおぢばに参りますから、それまでなんとかお腹においてください」というのが、私の願いでした。
 明日ダメになるかもわらんという状況で、とにかく3月の末を迎えたい。そういう願いをさせてもらって、おさづけの取次ぎをして、病室を後にして帰ってきました。

 翌日だったかにお母さんから電話がかかってきて、検査の結果、今までで一番良い状態だったと言われたよ、というようなことも聞き、驚いたものでした。

【ご家族の思い】
 二度目、三度目に3月の内に足を運びました。このときは車で行きました。この時何をしたかと言いますと、私が教会の者としておさづけを取り次がせてもらうというのも一つですが、どうしてもご家族の方におさづけの取次ぎをしてもらいたいお願いをしてもらいたかった。
 単純に、家族の方のほうが、神様に助かりを願う気持ちが強いだろうという思いからです。
 ですから、お母さんにお願いをして一緒に行ってもらって、おさづけを取り次いでもらいました。
 そして、三度目の訪問のときでしたか、おさづけを取り次いでもらってまたひとつ、よかったと思えました。
 とにかく絶対安静という状況でした。動くなと言われていました。家の中の掃除もできない食事の用意も洗い物もできない、するなと言われていました。
 動いてもし出血してしまったらどうなるかわからないと言われてました。結婚したばかりのご主人のお母さんが家に来てくれて、食事を作って持ってきてくれて、食器の片づけまでしてくれてました。
 ありがたいと思う反面、新しい奥さんとしてみたら、今時の人としてみると、台所に入られたり家のことをしてもらうのを、ありがたいと思うけど嫌だなと思う人も少なくない中で、彼女は徹底的にありがたいありがたい、本当に助かっていると言って通っていましたから、その姿を見てまた一つ私は、安心をすることができました。
 さあそして、なんとか迎えることができました3月の末、お母さんがをびや許しをいただきに、おぢばがえりをしてくださいました。当初は本人が行く予定でしたがその状況でしたので、お母さんが、そしてなんと、お父さんも、行って下さいました。またここで、ありがたいな嬉しいなという、安心材料が増えました。
 
【いくつかの不思議】
 4月を迎えられました。をびや許しをいただけた。ああよかった。
 胎児は無事に1000グラムになりました。子宮筋腫というのは、子宮の中にコブができるようなものですから何がまずいかというと、子宮というのは赤ちゃんが大きくなると風船のように膨らんでいくのですが、コブですから、膨らむことができないんです。大きくなる赤ちゃんが、狭いんです。ぎゅうぎゅうになっていってしまうんです。だから、大きくお腹の中で育てられないという懸念もあったんです。
 ですから、1000グラムになったら、今度は逆に、いつ出産の日を迎えるんだろうということが心配になってきました。われわれとしてはもう、その日を迎えて、産まれてきた赤ちゃんと、お母さんが健康であるようにと祈るばかりと思っていたのですが、一日一日と、報せが来ないまま過ぎていきました。
 まだかなまだかなと思って、いつの間にかあれもうすぐ5月の連休だぞという頃になってまして、その頃またお邪魔をして話を聞いたら、先生も不思議がっているんだけれども、彼女の場合はお腹の下のほうに筋腫がたくさんあるので、本来下に下に降りていく赤ちゃんが降りていけなくて、みぞおちのあたりに赤ちゃんが、横になっているような状況だったのですが、その辺に、隙間ができてきたと先生が言ったそうなんです。
 ぎゅうぎゅうで狭くて、大きくなるに連れてだんだん居場所がなくなってくるはずなのに、ちょうどこう、一人前くらい隙間が空いてきたというんですね。だからまだ慌てて取り出さなくてもいいかな、という風なことを先生が言ってると、こう言うわけです。
 その頃に、ちょっと色々言いますが、確かその頃に、それまで通っていた病院から、日本に3ヶ所くらいしかない、超大きな産婦人科病院に紹介されて通院を始めていて、そこでそういう診断をされて、週に一度くらいの通院をするころになったのもその頃です。
 それもありがたいことでした。そんなに設備の整った、そこに来るのは通常分娩ができないような、通常の産科では手に負えないような妊婦さんがみんな来るところですから、そこに紹介されて通院できるようになった、これもありがたいことだなあと思いました。

【おさづけ取次ぎのときのあたたかみ】
 少し話が戻るんですが、二度目か三度目かに出向いておさづけ取り次いだ時に、お腹の下のほう、おへその辺りになんとなく感じるものがあったんです。おさづけ取り次ぐときになんとなくあったかいなってことありますよね、それが、あったんです。で、私はここか、と思いまして、お腹の下の辺りに「この辺に赤ちゃんがいるわけだね」とこう得意気に言ったところ、「いや違うそこは筋腫だよ」とこう言われまして、赤ちゃんは上のほうにいるからそこには何もないと言われました。
 私はそれを聞いて、しまったあほなこと言ったと思いながらも、いや待てよ確かにそこに何かあると色々と考えまして、あ、そうかと思いました。
 僕らは子宮筋腫というのは悪いもの、良くないもの、そんなもの無ければよかったのに、と思っていたのですが、そうじゃないんだな、と。それも彼女の一部だし、それも親神様教祖のご守護の一部であるんだから、それと今赤ちゃんが一緒にいるわけですから、赤ちゃんを育てながら、そのお腹も一緒に大事にしていかなければならないんだな、というように心が切り替わりました。
 悪いものを治してください、ではなく、一緒に大きく、無事に通らせていただくしかないんだな、と思ったのがそのときでもありました。

 それから、5月の連休が来てしまいまして、連休中は交通が混雑しますので連休が明けたら行きましょう、なんて話してました。5月ですよ。
 4月になったら1000グラムになるから、その日を迎えられるようにと言っていたのが、5月になっていました。1000グラムになったら取り出しましょうと言われた赤ちゃんはなんと2000グラムに育ちまして、これだけでもすごいなと思ってましたら、人間欲が出てきまして、もう少し経てば、出産後保育器に入らなくて済むんだって、なんていう話が出てくるほど、落ち着いてきていました。
 これは本当にびっくりしました。

【なかなか安心できない】
 さあ、5月になりました。我々の禁酒生活も3ヶ月になりました。最初は1ケ月くらいかなと思っていたのですが、3ヶ月になってしまって、まだかな、というような思いもなきにしもあらずで、5月も終えていきます。
 いつの間にか、出産の手術予定日が、6月28日と決まりました。予定日どおりです。これはもう驚きました。
 私たちは、彼女の元に行くたびに、年齢的にも、聞かせてもらう病状的にも、多分、最初で最後の妊娠になるだろうな、と思っていました。結果がどうなったとしても。ちゃんと、赤ちゃんが産まれたとしても、または、最悪の事態が起きたとしても、子宮の全摘出ということは免れないだろうな、だから、なんとか、という思いが非常に強かったんですが、5月が終わるその頃に、彼女が言うんです。
「先生が言うには、手術の日に中を見てみた状態で、もし、悪くなければお腹の中に子宮を残せるかもしれないよ」
 びっくりしました。そんなことがあるのかと。なんともわからないですが、本当にダメだろうと思っていたものが、どんどんダメじゃなくなっていって、予定日どおりの出産になるよという報せを聞いて時は6月を迎えるわけです。
 もうここまでになればもう大丈夫だろうなと思いました。
 
 ところがなかなかこれ、大丈夫にならないもので、6月になった途端に連絡が来て、緊急入院をしたよと聞きました。その、大きい病院の方に。出血かなにかあったんだと思うんですが、急に容態が変わって病院に行ったら緊急入院になったと言われたのが6月の頭でした。
 何事かと思って、お母さんと妻と3人で病院に駆けつけました。
 そうしましたら個室に入れられていて、大きな病院ですから受付で名前を書いて、病棟に行って病棟で誰々の何々ですと言ってカギのかかった扉を開けてもらって、東京のでかい病院はすごいなあと思って行ったら、なんと彼女が、元気にご飯を食べていました。
 急変はしたけれどもたいしたことはなさそうだ、と言うことでしたが、大事をとってそのまま入院して経過をみることになりました。出産予定日は、6月28日手術、それはそのままで、それまで病院に入院させてもらえることになりました。
 じゃあ、もう大丈夫だと。日本に3つだかしかないほどの設備の整った病院に入院したわけですから、地球上で彼女にとってお腹の赤ちゃんにとっても、そこより安全なところ、安心なところは無いわけですから、大船に乗った気持ちでその日を待てばいいと思って、2週間を過ぎた6月の14日に連絡が来ました。
 6月の28日と言っていた手術日が、21日に前倒しになりましたと聞きました。なにかあったのかと思いました。一週間も早まったというのはなにかあったかと思って、そこで、もう一度我々は思案をします。

【最後の思案】
 28日が21日。7日間早まりました。その報せが来たのが6月14日でした。7日前に来ました。
 7日早まった報せが7日前に来たんです。7と7ときました。
 7が3つそろうと21です。あしきをはろうてのおつとめの回数です。21回。
 ちょっと難しい話になりますが、7というのはたいしょく天のみこと、切る理です。3というのはくにさづちのみこと、つなぎの理です。7×3=21であしきをはろうてたすけたまへのおつとめの回数です。その理です。
 切るというのは、お腹を切ります。綺麗に切れば綺麗につながる。ぎざぎざに切ったら綺麗につながらない。だから、切るというは思い切りスパッと切らにゃならんとこう言われるんですが、だからそれは、その理にあやからないといけない。
 7が2つじゃ足りないですね。切ったらつなぐ。7が3つ無ければいけない。じゃあもう一つの7は何かな、ということです。
 向こうから7が2つ来たのだから、もう一つはこちらから揃えさせてもらなければならないと色々考えました。朝仕事行きながら電話をもらったもんですから、色々思案をしました。「7、7、7、来たら、こちらから運ぶのだから、、、うーん」と。そして、そうか。と。
 本来ここはおぢばがえりをさせてもらうところです。おぢばで教祖にお願いをさせてもらうのが一番良いのですが、なかなかそうもいきませんので、私は、彼女のお母さんに電話をして、今日から7日間、教会に日参してください。と言いました。
 色々思うところはあるのですが、おぢばの出張り場所である教会に7日間日参をしていただけますかと言いましたら、2つ返事でわかりましたと言っていただいて、ご夫婦で日参をしてくださいました。
 僕はまたその姿を見て、これは大丈夫だと思いました。
 予定が21日ですから。7と7と7と、これで21がそろって、これは丸く収まるなと思いながらも、自分がこの段に来て何もしてないと気づきまして、もう一度おさづけを取り次ぎに行かないといけない、と思って、14日に連絡をいただいたので、翌々日16日、上級の月次祭のおつとめの後にその足で東京の病院に行っておさづけを取り次ぎました。このときにはもう大部屋に移っていました。
 そして、21日を迎えました。後になって数えたら、その6月16日に彼女のところに行ったのが、9回目でした。9。別席の満席の数です。あの時に、もう一度行かないといけないと思って行っていなかったら、8回で終わってしまっていました。
 9席の別席を運ぶように、9度のおさづけを取り次がせてもらって、その日を迎えました。
 当日連絡をいただいたら、3000グラムに近い女の子が元気に産まれ、母親も無事だという報せをききました。ありがたかったです。

 後々色々考えたのですが、なぜ出産、手術が7日早まったのかなと。
 とにかく、子宮がその状態、胎児もその状態です。胎児というのは日に日に大きくなっていきます。そこまで、3000グラム近くにまでなっていれば、今度は逆に母体への影響が大きいと思うんです。
 そういう大きな病院ですから、分刻みで手術のスケジュールが詰まって、手術の日程を変えるのも、通院の、入院していない妊婦であれば大変であろうと思うんですね。
 6月の初旬に彼女が緊急入院をしたというのも、母体に、胎児に影響が小さいように、手術日が前倒しになっても大丈夫なように、病院に入れていただいたんじゃないかと、こんなふうにも感じたところでありました。

 今は産婦人科もとにかく医師不足で、施設も足りないものですから、出産をするとすぐ元気な人は退院をさせられます。一週間で彼女も退院しましたので、間もなく行ってきました。産後すぐのときでしたから、私も申し訳なく思いながらも、おさづけの取り次ぎに参りました。
 すると、元気に玄関で出迎えてくれました。彼女が。その姿に、私は非常に違和感を覚えました。
 考えてみればその3ヶ月4ヶ月、彼女はずっと寝たきりのようなものでした。動けるようになっても極力歩かない動かない、動いてもゆっくりゆっくり動くというのを徹底していた、その彼女が出産を終えて、お腹の赤ちゃんが無事だった。一気に元気になりまして。こんなに軽やかに動ける人だったなあと思い出しました。
 産後と言うのは大変なものなんだと聞いてます。私は経験がないのでわかりませんが、動くのが大変で、一ヶ月は布団で赤ちゃんと過ごすようなことを聞いていましたが、彼女は元気に動き回っていました。
 考えてみたら、その4ヶ月というのは、彼女が動きたくて動きたくて仕方なかった4ヶ月だったんですね。お腹の赤ちゃんのために必死に動かなかった。その通り方、もたれて通ったその姿が、無事に母子ともにおたすけいただいたその原動力だったんじゃないかと思いました。
 母乳の出も良くて、訪問の保健士さんも驚くほどに産後のひだちもよかった。これはもうをびや許しのおかげです。ありがたいなあと思いました。

【神様との密かな約束】
 その後なにかとお邪魔をしておさづけの取次ぎに行かせてもらっているんですが、その子が、今月3歳になります。先日お邪魔しておさづけ取り次いでいましたら、私の隣に座って、小さい手で一生懸命にお母さんのお腹をなでるんです。私と一緒に。その姿を見て、本当にいい子が授かったなあと思いました。

 そんなきっかけで、私はお酒をやめさせてもらって、今日まで飲まずに、健康に通らせてもらっています。
 実はまだ、彼女にも言ってないんですが、最初に病院でおさづけを取り次がせてもらうときに、実は、親神様に、教祖に、「この子を立派なよふぼくに育て上げますのでなんとか助けてください」とお願いをしてしまったんですが、いつ彼女に言おうかと思ってるんですが、先日一緒におさづけを取り次いでくれた、その3歳の姿を見て、大丈夫だろうなと思いましたので、今度打ち明けたいと思いました。
 
 そんなことがありました。
 6月、これから大変暑くなりますので、ともどもに体調を気をつけながら、7月の終わりにはこどもおぢばがえりもありますので、ぜひ大人も子供も一緒に楽しいおぢばがえりをさせてもらいたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。