だめのブログ

丸山道慶が書いています

路傍講演 2014

 全教一斉にをいがけデーで、教会長路傍講演の日というのがあるらしく、新人教会長として初めて参加しました。

 路傍講演など初めてのことでした。原稿も持たずにでかけたので、覚書として記しておきます。

 

データ:平成26年9月28日夕方。市内3ヶ所にて

 

【親孝行について】

  ご通行中の皆様こんにちは。ひとつお話をさせていただきます。

 私共は、天理教を信仰する者であります。みなさまにとって信仰とはどのようなものでありましょうか。

 信仰とは、ある一面において、物事の良い、悪いをはっきりと教えてあげるものだと思います。

 このことは良いことだよ、また悪いことだよ、と明確にしていくその根本には神様や仏様などの尊い教え、すなわち信仰があるものと考えます。

 私達の神様は、そのお話の中で、親を大切にすることがとても大事だと教えてくれています。親孝行をしなさいよ、と、私達の信仰ではよく言われます。

 それでは、親孝行とはどのようなことだろう、と、最近私はよく考えます。

 昨日も市内の色々なところで運動会が行われ、元気な子どもたちの姿を多く見ることが出来ました。

 私は、親に孝行するということは、ひとつ、子供をきちんと育てていくことではないか、と思いました。

 親と子が仲良く、楽しく暮らしていく姿は、その親から見ればとてもほほえましく、喜ばしい姿だと思います。

 親が最も喜んでくれる姿は、子供と孫が仲良く助けあって暮らしていることではないか、と思うのです。

 とはいえ、日常の生活の中で、子育てに関することを含め、色々な悩みや困難に突き当たることもありますから、そんな時にはどうぞ、お近くの天理教会をお尋ねください。

 いつでも、どなたでも、お気軽にご参拝いただけますので、皆様のお越しをお待ちしております。

ありがとうございました。

 

【かしものかりもの】

 皆様こんばんは。私たちのこのカラダについてのお話をさせていただきます。

 私達のこの身体は、とても便利なものとは思いませんか。

 右手上がれと思えば右手が上がり、左足進めと思えが左足が動き、あれを見ようと思えば見ることができ、これを言おうと思えば話すことができます。

 自分の身体ですから、思い通りに動くことは当然とお思いかもしれません。

 しかし、それは本当のことでしょうか。

 自分の身体であるから思い通りに動くのであれば、心臓の動きを止めることができますでしょうか。また、頭が痛い時、お腹が痛いときに、痛みよ治まれ、なくなれ、と念じて痛みがなくなるでしょうか。

 そうではありません。それはなぜでしょうか。

 私達の信仰では、それは、この身体は神様からお貸しいただいているものだからだ、と教えてもらいます。

 この、身体を、神様がつくり、人間に貸し与えてくださっていますから、我々は神様の世界に住まわせていただいているのです。

 この、のぼりにも「感謝慎み助け合い」と書いてありますが、これこそが、私達の生活の基本的な心構えです。

 神様によって生かされている我々は、まず第一に、ありがとうという感謝の心をもたなければなりません。どうぞみなさま、

「感謝、慎み、助け合い」の心でにちにちをお通りくださいますようお願い申し上げます。

 このようなわかりやすい神様のお話がたくさんあふれていますので、どうぞお気軽にお近くの天理教会にいらしてください。お待ちしております。

 ありがとうございました。

 

【幸せとはなにか】

 皆様こんばんは。

 皆様。人間が生きる目的とは、何でしょう。人間が作られたのは、なぜでしょう。

 その問いに、お答えになれますでしょうか。

 私達天理教の信仰者は、それに答えることができます。

 この地球がまだ泥の海であった太古の昔、神様がそれを見てあじけなく思し召しました。「つまらないなあ」と思ったそうです。

 そして、「そうだ、人間というものをこしらえて、その者達が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しもう」と思し召し、人間を作ったそうです。

 つまり人間とは、陽気ぐらしをするために作られ、人間が生きる目的とは、陽気ぐらしをするため、です。

 では、陽気ぐらしとは、どのようなものでしょう。

 陽気ぐらしとは、互いに助けあって暮らし、心を澄ます生き方である、とお聞かせいただきます。自分だけが陽気な世界ではありません。お互いに助けあう心で生きる世界、それが陽気ぐらしであります。

 そのために、神様は常に、この世界の万物の上に、また私達の身体の中にお働きくださっています。

 それだけではなく、食べるもの、着るもの、住むところも、これは皆神様からのお与えであります。ですから私達天理教の信仰者は、毎日まず第一に神様へのお礼を申し上げます。

 なぜ私は幸せになれないのだろう。また、幸せにしてくれる人と出会いたい、という方によく出会います。

 私は、その方々に申し上げることがひとつあります。

 誰も、あなたのことを幸せにはしてくれませんよ。なぜなら、あなたはもうすでに、十分に幸せだからですよ。

 どうぞこの続きは、お近くの天理教会にてご相談いただきたいと存じます。

 ありがとうございました。