だめのブログ

丸山道慶が書いています

178年7月神殿講話 おさづけ効きますか?

 ただいま当教会の月次祭のおつとめを結構につとめさせていただきました。誠にありがとうございました。神殿講話をつとめさせていただきます。
 今月は、奉献神願が3000件を突破いたしました。3103件ということでした。教祖百三十年祭の三年千日の活動として始められたものですので、二年半以上、大教会として続けているわけですが、数が増えてきているというのはどういうことかと考えました。これは、助かっているんだ、ということなんだと思います。「それをすれば、なるほど助かるじゃないか」ということが我々の中ではっきりと見てとれるようになってきたんですね。ですからこれを、してくださいと人に勧めるようになったし、書いてる者、我々も、助からないからやめようということがないんです。だからこうして皆様が続けてくださっているのだと思います。
 年祭だからということではありませんが、来年の一月、教祖百三十年祭まで、教祖にお喜びいただける、この、おたすけのうえの奉献神願を続けて参りたいと思います。よろしくお願いします。

 連絡ですが、第一に今月こどもおぢばがえりがご本部で開催されます。当教会は7月27、28、29日でやらせてもらいます。
 引き続いて、群馬教区少年ひのきしん隊があります。こどもおぢばがえりで、中学生が一週間親元を離れておぢばに伏せ込むのですが、去年、教会の長男が中学一年生で行ってくれましたが、今年も参加してくれる予定です。もう一人、男の子が行きたいと言ってくれていて、今のところ教会から2名、おぢばのひのきしんに行ってくれる予定です。顔を見たらぜひ皆さんからも激励してあげてください。
 来週の日曜日19日の話です。暑い中ですが、先月中止になった支部のひのきしんがあります。私は所用で欠席になりますが、ご都合の付く方はぜひご参加ください。草刈のひのきしんです。
 それともう一点。先の話ですが8月30日、ひのきしんスクールが群馬県で開催されることになりました。内容は依存症です。ギャンブルやアルコール、タバコ、今はインターネットやゲーム、いろんな依存症のおたすけに関するひのきしんスクールというのが8月30日に開催されます。春に当教会に巡教に来てくださった先生が講師の一人としてお見えになることになってます。先着50名ということなので、参加希望の方はお早めに声をかけてください。

 今月は何をお話しようかと思ったのですが、年祭ということで、おたすけの話をさせてもらないといけないと思いまして、おさづけの話をさせてもらいたいと思います。
 質問をします。お答えいただかなくて結構ですが。みなさん、おさづけ、効きますか?
 よふぼくの方が多いので質問しましたが、そう質問されたときに、みなさん、なんてお答えしますか?
 私も最近聞かれることも少なくなりましたが、学生時代、天理大学の寮に入っていて、何人か仲の良い人間で集まるとそういう話もします。裏話で、大きな顔で言う話でもありませんここだけの話にしてください。
 海外部といって海外布教をしたりするような部署に勤務してた奴なんかが言うのは、海外布教に行くとおさづけはすごい効くね、と言います。有名な先生が出かけると、宿舎の前に毎朝行列ができるそうです。助けてくれ治してくれと。そういった話もよく聞きます。
 本部の青年さんとか、私の知り合いも今コロンビアに行っているのがいますが、そうするとおさづけ取次ぐとたちまちご守護があるなんていう話を聞きます。

 じゃ国内じゃ効かないのか。っていう話になりますが、そんなことないと思いながら、ある友人がこう言うんです。これはまあ、正直な本音だと思うんですが、「おさづけってあんまり効かないよな。効いてくれないと説得力ないよな」って言うんですよ。
 なるほどそうだな、と思いました。布教してる者からすれば、どこか悪いところないですかと訪ねて、じゃあ天理教のおさづけというのを取次ぎますとやって、ああ良くなりましたとなってくれれば、そんなありがたいことはないんですが、なかなかそうはなりません。
 海外に行けばなんでそうなのかな、という話もしますが、私はそのとき、日本というのは文明が進んでいてそこら中に病院があって保険制度も充実してるので、みんな教会に来る前に病院に行くようになっちゃったので、効く効かないの前に取次ぎの機会も減っちゃったのかもしれないし、もし日本に医者がなくて、その町によふぼくがお前しかいなければ毎朝お前の家の前に行列ができるに違いないよと言うんですが、それは本音の部分ではなるほど効いてくれないと説得力がないという言葉にも説得力があるよなあ、とそんな話をしたりします。

 そいつが言うには、教祖がおさづけを下さるときに、「道の路銀や」と言ってくださったわけだから、お小遣いみたいなものだと思うんだと言うんです。だから、好きなものを好きなときに好きなように買えないとお小遣いじゃないんだと。なるほどそれもそうです。
 道の路銀と教祖が仰ったということですから、路銀とはなにかと調べてみたんですが、路銀ていうのは現金のことというよりも、旅費のことだと書いてありました。旅をする時に持って出たお金を路銀といったそうです。
 このお道の旅というのは、おたすけの旅だなあと思うのです。

 旅費を持って旅にでます。特に昔は交通も未発達ですし宿泊もないし食事もろくにとれないそんな旅だったと思うのですが、その際に現金なんかいくら持ってても実はあまり役に立たないんです。現金と言うのは、それだけでは、紙幣であればせいぜい物を拭いたりとか、硬貨であればなにかにぶつけたりとか、それくらいしか、物としては役に立たないんです。
 現金と言うのは、その時になにか必要なものに交換して初めて役に立つんです。
 であれば、教祖が道の路銀やと言ってお渡しくださるこのさづけというのも、困っている方、病んでいる方、その方に今必要なものを何かと、それと替えて、こうしたらいいんですよ、と教えてあげることが、これが、おさづけなのか、一言はなしと言われるゆえんなのかと思います。あなたが今助かるには、病んでいるそれがどういう神様のご守護なのか、ということをその方に、替えて差し上げるという、これがおたすけ、おさづけなのかなあと思うところです。
 だから、ただ取次げばいいというものじゃない。熱が出たら解熱剤を飲めば熱が下がるというものじゃない。対症療法ではない、という、これが、おたすけおさづけなんだろうと思います。
 
 ここで最初の質問に戻ると、おさづけ効きますか。と聞かれたときになんと答えましょう。
 なお、私はおさづけ、効くんです。これは割りと有名な話でもあります。
 
 私がおさづけの理を排戴したのは大学1年生のときです。18歳のときです。
 天理大学の受験しに行ったときに、あまりにも受験勉強していませんでしたから、受験当日に朝かんろ台の前に行きまして、親神様なんとかお願いしますと合格祈願みたいなことをしてしまいまして、ただお願いするだけじゃ受からないだろうなと。その日に受験する全員がお願いしてるだろうから、何か約束させてもらなきゃいけないなと思いまして、もし合格できたら毎月一席別席を運んで、今年中によふぼくになりますのでお願いします、と言っておつとめをして受験したら、なんと合格してしまいましたので、約束どおり毎月空いている時間に別席を運びまして、その年のうちによふぼくになりました。
 
 学生寮に入っていましたので、周り中お道の子ですから、おさづけに対しての抵抗というのはないんです。
 ある日仲のいい友人が熱を出して苦しんでいたので、よしおさづけ取り次がせてもらうぜと言っておさづけを取次ぎました。
 次の日にその子の部屋に様子を見に行きましたら学校から帰ってきたところでした。あ、おさづけ効いたのかよかったなと思って聞いたら「すごい効いた」と言われました。
 すっごい効いて、今日も朝から学校朝から行けてよかったんだけれども、三日寝てれば良くなるであろう、その三日分の苦しみが、昨晩一晩に押し寄せて来て、死ぬような思いをしたと言われました。凝縮した密度の高い苦しみを、三日間分の集大成を一晩で経験して治るのが早まったと、こんなことを言われました。
 それはおさづけが効いてるのかなと不安になりましたが、時を仕切ってと教えられたので、明日の朝までにとお願いをしたのが良かったに違いないと思いながら、じゃあまた何かの時にはおさづけを取次がせてもらおうと言ったら、二度とごめんだと言われてしまいました。
お前におさづけ取り次いでもらった一晩苦しむくらいなら三日間寝てる、とこう言われました。

 なぜかその話が広まりまして、誰もおさづけを取次がせてくれなくなってしまいました。
 困ったなあと思っていたある日、夜、一人の先輩が部屋にやってきました。
 古い体質の寮でしたから、一年生は人間扱いされないような寮で、先輩と言うのはとにかく偉くて怖い存在だったのですが、その先輩が部屋に呼びに来たんです。これはまた何かやってしまったのかと心配しながらその先輩の部屋に行きましたら、おさづけ取り次いでくれと言うんです。
 え。いいんですか。と驚きました。いや実は私はこれこれこういう、、と言おうとしたところ、先輩が四の五の言わずに取次いでくれと先輩が言うものですから、わかりました、と言って取次ぎました。
 どんな理不尽なことを言われようとも正しいのは常に先輩ですから、なんとか助かってもらいたいと、なにかあっては困ると思って真剣に神様にお願いをしました。
 次の日、ビクビクしながらこっそり様子を伺っていましたら、先輩が元気に寮から出て行く姿が見えました。これはよかったなと思いました。
 後々聞きましたら、その日はクラブの試合かなにか、大事な用があったのでどうしても体調万全で出かけたいという先輩の事情があったそうで、諸々承知で丸山のところへ、おさづけをお願いしに行ったということでした。
 「大丈夫ですか」と聞きましたら、生死の境をさまよった、みたいなことを言ってました。

 これは半分冗談話で、笑い話みたいなものであります。
 しかし、ここに半分、おたすけ、おさづけというものの本質が含まれているのではないかと思います。
 その先輩は、どうなっても助けてほしかったんです。そのときの先輩の心と言うのは、丸山頼む、という願いではなかったはずです。なんとか、親神様、教祖にお助けいただきたい、どうなっても、苦しんでもいいからお願いしますというその心が、神様に届いたのだと思います。私は何もしていません。教えられたとおりにおさづけを取次いだだけです。
 誠の心というのは神様に願う心、きっとその先輩にも心に定めたところがあり、神様と約束をして助かりを願った、そこに、助かる姿というのがあったんじゃないかと、私は思います。
 
 学生時代にそんなことがありまして、今でもそんなことはあります。
 私の長男の中学生が、本番に弱いことで有名でして、部活の大会の日に熱を出すわ、中学校の入学式に熱を出すわ、修学旅行に行けば熱を出して電話がかかってくるわと、色々本番に弱いタイプです。
 普段元気なのですが、そういうときには体調崩すので、じゃあおさづけ取次いでもらおうと言うと、嫌だというんです。父ちゃんのおさづけはしんどいから嫌だと。子供が言うくらいだからほんとにしんどいのかなあと思います。
 でも、本当に体調の悪いときには、おさづけ取次ごうかと訪ねるとはいお願いしますと言うんです。おさづけ取次いでもらうと神様にご守護いただけるということを本人も知っているし、その願う心が神様に届くんですね。疑う心には神様お働きくださらないのです。神様にもたれるというのはそういう姿だと思うんです。
 神様が、こうすれば助かるよと言ったことに対して、正直に素直な心でそれを受け取って行動していくそれが、信仰の姿でありますし、そうして通る中で、神様にいかにご守護いただいて、いかに抱きかかえられてお守りいただいているか、ということが、わかってくるのが信仰の姿だと思います。
 
 そういう上で、おぢばがえりをはじめ、それぞれにできるおたすけをさせてもらってください。
 ひとつはおさづけのお取次ぎ、ひとつは、教会でのおつとめ。月次祭のおつとめ。またそれぞれのご家庭でのおつとめなどできることがあると思います。
 またおつとめ以外にも、それぞれの日々のお役目の中で、ご家族の中で、人のために行っていることそれらすべて、お助けにつながっているのだ。自分の働きが誰かのためになっているのだということです。
 年祭で、たすけの旬、たすかる旬と言われているのは、新たなお助けをしなさいしてくださいという一面もありますけれども、もう一つ側面として、自分も人のためにおたすけをしているんだ、という認識を持つ。ということは、自分も誰かに助けられて日々暮らしているのだということを良く心に留めさせてもらう旬なのかなあと思います。

 まとまりませんが、本日のお話は以上でございます。ありがとうございました。

178年6月 神殿講話(妊娠、出産のおたすけとお酒をやめた話

 ただいま結構に当教会の月次祭のおつとめを陽気に結構につとめさせていただきまして誠にありがとうございます。神殿講話をつとめさせていただきます。お付き合いお願いいたします。
 先月は大教会の仕切りの月でして、皆様にもご真実のお供えをいただき、上級を通じて大教会へお届けいたしました。大教会長様ご自身でおぢばへお届けくださるようであります。高いところからではありますが御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
 連絡を申し上げます。6月14日の支部ひのきしんが事情により中止となりました。よろしくお願い申し上げます。7月は予定通り行う予定です。

 6月です。私は実は今年は41、いや、2、42歳になります。昭和48年産まれです。
 実はここ3年ほどお酒を飲んでいないんです。皆さんご存知のことでもあるんですが、なんでお酒をやめたのかという話をします。
 大学時代、寮におりましたので先輩から相当鍛えられてそれからずっとお酒を飲んできたのですが、それをやめました。

【お酒をやめました】
 3年前の2月の末に、前会長さん、当時まだ現職の会長でしたが、前会長さんから、ある日突然おたすけに行ってこいと言われました。
 皆さんご存知でもありますが、今東京にいる、旧姓中谷幸子さん(仮名)さんが、結婚しまして、妊娠したよ、という話は聞いておりました。ご主人も紹介してもらっていた矢先のことで。年齢的にも30後半で、子供ができてよかったなあと思っていました。
 3月の終わりにちょうど六ヶ月になるのでをびや許しをいただきにおぢばがえりをしたいんだという話も聞いていました。
 旦那さんは天理教をまったく知らない人で、その人を連れて一緒にをびや許しをいただきにおぢばがえりをしたいと言っていましたので、私はもう安心して、大丈夫だと思っていました。ですが、どうやら仕事中に出血があり、それ以来調子がよくなくて入退院をくりかえしたりしていたそうです。それでいよいよあまり良くなさそうだということで、「お前ちょっと行ってこい」とこういうことになりました。

 色々お話したいこともあるんですが時間もありますのでかいつまんでの話になりますが、結論としては子宮筋腫でした。それまではそういう診断をされてはいなかったそうですが、そのとき行った病院で初めて、だいぶ大きな子宮筋腫があるということがわかったそうです。今言ったように30歳も後半の初めての出産でその状況というのは非常に危ないというか、安静にしていないといけない状態だということでした。
 お助けと言ってしまうと非常にハードルも高く、私もしたこともなくて、なにからしたらいいのか、とにかくまずはおさづけを取次ぎに行かなければならないわけです。ですが、疎遠にしてるというほどでもないんですがそんなに頻繁に付き合っているという状況でも当時はなかったので、ある日突然明日行くよ、と言ったときに気を使われて「いやいいですいいです」と断られちゃうとまずいなと思いました。
 病気と違って妊娠というのは日数が限られています。胎児というのは日に日に大きくなっていきますから、そういう意味では非常に、私の中では薄氷を踏むような、そんな感じがしていました。
 とっとと電話してとっとと行けばいいんですけど、もし断られてしまったらという心配が先に立ってしまってウロウロしてたんですが、ふとひらめいたのが、子宮筋腫ですよね。子宮筋腫ってなんだろう、と私も知らないのでいろいろ考えたり調べたりしてたんですが、子宮筋腫は至急禁酒だと、いうことです。「至急」急いで「禁酒」お酒をやめなさい、ということかな、と思ったんです。
 ただのダジャレですから、こんなんでいいのかと思いまして、妻に相談しました。「子宮筋腫ってこれ、至急禁酒をしなさいよというかな」と。
 バカなこと言ってるんじゃないよと怒られると思ったんですが、それはおもしろいね、と。私もちょうどしばらくやめたいと思っていたので一緒にやめましょう、ということでした。

【人助けたら我が身助かる】
 そこから始まったのが、私の、お酒をやめる、ということでした。
 このときに思ったのが、私は当時お酒も飲みすぎていたりして調子もよくなかったり身体も壊したりもしてまして、やめるとまではいかなくても減らさなきゃいけないなと思っていた矢先のことでありましたから、教祖が「人助けたら我が身助かる」と仰った、私がその状況でもしお酒をやめることができたら、彼女のおかげで私がやめられたことになる。つまり、彼女が私を助けてくれたことになるんじゃないかな、と思ったんです。
 人助けたら我が身助かる。彼女が私のことを助けてくれたら、彼女が助かるんじゃないかな、と思って、妻と二人でお酒を、無事に出産するまで、出産が済むまでやめよう、ということになりました。

【おさづけの取次のとき、どんな願いを】
 それで、電話をしたら快く、ぜひ来てくださいと言ってもらったので、東京まで妻と二人で出かけました。私はもうこれは大丈夫だろうなと思いました。もう、無事に、あざやかご守護と思って出かけて、電車に乗って乗り換えの駅に着いたら彼女から電話がかかってきました。
「せっかく来てもらったとこ悪いけど、急にお腹の調子が悪くなったので病院に来て今検査をしてもらってるので、今日は来てもらうことできなくなった」
 とこう言われました。東京のど真ん中で途方にくれまして。仕方ないから帰ろうかと思った時、ふと彼女のお母さんの顔が浮かびましたので電話しまして「こういうわけなので出直そうと思うんです」と言ったら、ちょっと残念だな、という感じでしたので、「病院でもわかれば探して行ってみますけど」と言ったら病院がわかりまして、病院の場所調べて向かいました。
 ただし、都会の病院で、家族でもない人間が突然訪ねて行って、教えてくれるかどうかわからないですよね。個人情報というのがありますから。いるかどうかもわからない状況でとにかく行って、受付でおそるおそる聞きましたら、なんと快くすんなり教えてくれまして、「検査入院をすることになりました」ということでした。
 病室に案内されて無事会えました。割と元気な顔をしていてよかったと安心しまして、じゃあおさづけを取り次がせてもらおうと思ったんですが、この時困りました。

 それまで電話とかで色々聞かせてもらっていて、お腹の赤ちゃんが1000グラムにまでなったら手術というか出産をしましょう、とお医者さんから言われていたそうです。1000グラム。超未熟児です。私はその話を聞いたときに冷や汗が出ました。
 ということは、1000グラムになるまでお腹に置いておけなかったら、ダメだよ、ということですよね。
 それがをびや許しをいただいた後であれば、「神様からをびや許しをいただいているんだから大丈夫だよ」と言えるんですが、をびやの前の話ですから、どうしようかなと。
 たとえば、子宮筋腫をなくしてくださいとか治してくださいとか、そんなことはさすがにお願いできないですよ。あるものを無くして下さいとはお願いできないです。何をどうお願いしたらいいのかな、とその時になってようやく考えはじめたんです。私の力で、というか、今、お願いできるのは何か、と考えたんです。
 そしたらとにかく、をびや許しをいただくしかない、と思ったんです。
 3月の初旬だったと思うんですが、まだ寒かったその日に、初めておさづけを取り次いだ時に、親神様、教祖に、「3月の末にをびや許しをいただきにご家族がおぢばに参りますから、それまでなんとかお腹においてください」というのが、私の願いでした。
 明日ダメになるかもわらんという状況で、とにかく3月の末を迎えたい。そういう願いをさせてもらって、おさづけの取次ぎをして、病室を後にして帰ってきました。

 翌日だったかにお母さんから電話がかかってきて、検査の結果、今までで一番良い状態だったと言われたよ、というようなことも聞き、驚いたものでした。

【ご家族の思い】
 二度目、三度目に3月の内に足を運びました。このときは車で行きました。この時何をしたかと言いますと、私が教会の者としておさづけを取り次がせてもらうというのも一つですが、どうしてもご家族の方におさづけの取次ぎをしてもらいたいお願いをしてもらいたかった。
 単純に、家族の方のほうが、神様に助かりを願う気持ちが強いだろうという思いからです。
 ですから、お母さんにお願いをして一緒に行ってもらって、おさづけを取り次いでもらいました。
 そして、三度目の訪問のときでしたか、おさづけを取り次いでもらってまたひとつ、よかったと思えました。
 とにかく絶対安静という状況でした。動くなと言われていました。家の中の掃除もできない食事の用意も洗い物もできない、するなと言われていました。
 動いてもし出血してしまったらどうなるかわからないと言われてました。結婚したばかりのご主人のお母さんが家に来てくれて、食事を作って持ってきてくれて、食器の片づけまでしてくれてました。
 ありがたいと思う反面、新しい奥さんとしてみたら、今時の人としてみると、台所に入られたり家のことをしてもらうのを、ありがたいと思うけど嫌だなと思う人も少なくない中で、彼女は徹底的にありがたいありがたい、本当に助かっていると言って通っていましたから、その姿を見てまた一つ私は、安心をすることができました。
 さあそして、なんとか迎えることができました3月の末、お母さんがをびや許しをいただきに、おぢばがえりをしてくださいました。当初は本人が行く予定でしたがその状況でしたので、お母さんが、そしてなんと、お父さんも、行って下さいました。またここで、ありがたいな嬉しいなという、安心材料が増えました。
 
【いくつかの不思議】
 4月を迎えられました。をびや許しをいただけた。ああよかった。
 胎児は無事に1000グラムになりました。子宮筋腫というのは、子宮の中にコブができるようなものですから何がまずいかというと、子宮というのは赤ちゃんが大きくなると風船のように膨らんでいくのですが、コブですから、膨らむことができないんです。大きくなる赤ちゃんが、狭いんです。ぎゅうぎゅうになっていってしまうんです。だから、大きくお腹の中で育てられないという懸念もあったんです。
 ですから、1000グラムになったら、今度は逆に、いつ出産の日を迎えるんだろうということが心配になってきました。われわれとしてはもう、その日を迎えて、産まれてきた赤ちゃんと、お母さんが健康であるようにと祈るばかりと思っていたのですが、一日一日と、報せが来ないまま過ぎていきました。
 まだかなまだかなと思って、いつの間にかあれもうすぐ5月の連休だぞという頃になってまして、その頃またお邪魔をして話を聞いたら、先生も不思議がっているんだけれども、彼女の場合はお腹の下のほうに筋腫がたくさんあるので、本来下に下に降りていく赤ちゃんが降りていけなくて、みぞおちのあたりに赤ちゃんが、横になっているような状況だったのですが、その辺に、隙間ができてきたと先生が言ったそうなんです。
 ぎゅうぎゅうで狭くて、大きくなるに連れてだんだん居場所がなくなってくるはずなのに、ちょうどこう、一人前くらい隙間が空いてきたというんですね。だからまだ慌てて取り出さなくてもいいかな、という風なことを先生が言ってると、こう言うわけです。
 その頃に、ちょっと色々言いますが、確かその頃に、それまで通っていた病院から、日本に3ヶ所くらいしかない、超大きな産婦人科病院に紹介されて通院を始めていて、そこでそういう診断をされて、週に一度くらいの通院をするころになったのもその頃です。
 それもありがたいことでした。そんなに設備の整った、そこに来るのは通常分娩ができないような、通常の産科では手に負えないような妊婦さんがみんな来るところですから、そこに紹介されて通院できるようになった、これもありがたいことだなあと思いました。

【おさづけ取次ぎのときのあたたかみ】
 少し話が戻るんですが、二度目か三度目かに出向いておさづけ取り次いだ時に、お腹の下のほう、おへその辺りになんとなく感じるものがあったんです。おさづけ取り次ぐときになんとなくあったかいなってことありますよね、それが、あったんです。で、私はここか、と思いまして、お腹の下の辺りに「この辺に赤ちゃんがいるわけだね」とこう得意気に言ったところ、「いや違うそこは筋腫だよ」とこう言われまして、赤ちゃんは上のほうにいるからそこには何もないと言われました。
 私はそれを聞いて、しまったあほなこと言ったと思いながらも、いや待てよ確かにそこに何かあると色々と考えまして、あ、そうかと思いました。
 僕らは子宮筋腫というのは悪いもの、良くないもの、そんなもの無ければよかったのに、と思っていたのですが、そうじゃないんだな、と。それも彼女の一部だし、それも親神様教祖のご守護の一部であるんだから、それと今赤ちゃんが一緒にいるわけですから、赤ちゃんを育てながら、そのお腹も一緒に大事にしていかなければならないんだな、というように心が切り替わりました。
 悪いものを治してください、ではなく、一緒に大きく、無事に通らせていただくしかないんだな、と思ったのがそのときでもありました。

 それから、5月の連休が来てしまいまして、連休中は交通が混雑しますので連休が明けたら行きましょう、なんて話してました。5月ですよ。
 4月になったら1000グラムになるから、その日を迎えられるようにと言っていたのが、5月になっていました。1000グラムになったら取り出しましょうと言われた赤ちゃんはなんと2000グラムに育ちまして、これだけでもすごいなと思ってましたら、人間欲が出てきまして、もう少し経てば、出産後保育器に入らなくて済むんだって、なんていう話が出てくるほど、落ち着いてきていました。
 これは本当にびっくりしました。

【なかなか安心できない】
 さあ、5月になりました。我々の禁酒生活も3ヶ月になりました。最初は1ケ月くらいかなと思っていたのですが、3ヶ月になってしまって、まだかな、というような思いもなきにしもあらずで、5月も終えていきます。
 いつの間にか、出産の手術予定日が、6月28日と決まりました。予定日どおりです。これはもう驚きました。
 私たちは、彼女の元に行くたびに、年齢的にも、聞かせてもらう病状的にも、多分、最初で最後の妊娠になるだろうな、と思っていました。結果がどうなったとしても。ちゃんと、赤ちゃんが産まれたとしても、または、最悪の事態が起きたとしても、子宮の全摘出ということは免れないだろうな、だから、なんとか、という思いが非常に強かったんですが、5月が終わるその頃に、彼女が言うんです。
「先生が言うには、手術の日に中を見てみた状態で、もし、悪くなければお腹の中に子宮を残せるかもしれないよ」
 びっくりしました。そんなことがあるのかと。なんともわからないですが、本当にダメだろうと思っていたものが、どんどんダメじゃなくなっていって、予定日どおりの出産になるよという報せを聞いて時は6月を迎えるわけです。
 もうここまでになればもう大丈夫だろうなと思いました。
 
 ところがなかなかこれ、大丈夫にならないもので、6月になった途端に連絡が来て、緊急入院をしたよと聞きました。その、大きい病院の方に。出血かなにかあったんだと思うんですが、急に容態が変わって病院に行ったら緊急入院になったと言われたのが6月の頭でした。
 何事かと思って、お母さんと妻と3人で病院に駆けつけました。
 そうしましたら個室に入れられていて、大きな病院ですから受付で名前を書いて、病棟に行って病棟で誰々の何々ですと言ってカギのかかった扉を開けてもらって、東京のでかい病院はすごいなあと思って行ったら、なんと彼女が、元気にご飯を食べていました。
 急変はしたけれどもたいしたことはなさそうだ、と言うことでしたが、大事をとってそのまま入院して経過をみることになりました。出産予定日は、6月28日手術、それはそのままで、それまで病院に入院させてもらえることになりました。
 じゃあ、もう大丈夫だと。日本に3つだかしかないほどの設備の整った病院に入院したわけですから、地球上で彼女にとってお腹の赤ちゃんにとっても、そこより安全なところ、安心なところは無いわけですから、大船に乗った気持ちでその日を待てばいいと思って、2週間を過ぎた6月の14日に連絡が来ました。
 6月の28日と言っていた手術日が、21日に前倒しになりましたと聞きました。なにかあったのかと思いました。一週間も早まったというのはなにかあったかと思って、そこで、もう一度我々は思案をします。

【最後の思案】
 28日が21日。7日間早まりました。その報せが来たのが6月14日でした。7日前に来ました。
 7日早まった報せが7日前に来たんです。7と7ときました。
 7が3つそろうと21です。あしきをはろうてのおつとめの回数です。21回。
 ちょっと難しい話になりますが、7というのはたいしょく天のみこと、切る理です。3というのはくにさづちのみこと、つなぎの理です。7×3=21であしきをはろうてたすけたまへのおつとめの回数です。その理です。
 切るというのは、お腹を切ります。綺麗に切れば綺麗につながる。ぎざぎざに切ったら綺麗につながらない。だから、切るというは思い切りスパッと切らにゃならんとこう言われるんですが、だからそれは、その理にあやからないといけない。
 7が2つじゃ足りないですね。切ったらつなぐ。7が3つ無ければいけない。じゃあもう一つの7は何かな、ということです。
 向こうから7が2つ来たのだから、もう一つはこちらから揃えさせてもらなければならないと色々考えました。朝仕事行きながら電話をもらったもんですから、色々思案をしました。「7、7、7、来たら、こちらから運ぶのだから、、、うーん」と。そして、そうか。と。
 本来ここはおぢばがえりをさせてもらうところです。おぢばで教祖にお願いをさせてもらうのが一番良いのですが、なかなかそうもいきませんので、私は、彼女のお母さんに電話をして、今日から7日間、教会に日参してください。と言いました。
 色々思うところはあるのですが、おぢばの出張り場所である教会に7日間日参をしていただけますかと言いましたら、2つ返事でわかりましたと言っていただいて、ご夫婦で日参をしてくださいました。
 僕はまたその姿を見て、これは大丈夫だと思いました。
 予定が21日ですから。7と7と7と、これで21がそろって、これは丸く収まるなと思いながらも、自分がこの段に来て何もしてないと気づきまして、もう一度おさづけを取り次ぎに行かないといけない、と思って、14日に連絡をいただいたので、翌々日16日、上級の月次祭のおつとめの後にその足で東京の病院に行っておさづけを取り次ぎました。このときにはもう大部屋に移っていました。
 そして、21日を迎えました。後になって数えたら、その6月16日に彼女のところに行ったのが、9回目でした。9。別席の満席の数です。あの時に、もう一度行かないといけないと思って行っていなかったら、8回で終わってしまっていました。
 9席の別席を運ぶように、9度のおさづけを取り次がせてもらって、その日を迎えました。
 当日連絡をいただいたら、3000グラムに近い女の子が元気に産まれ、母親も無事だという報せをききました。ありがたかったです。

 後々色々考えたのですが、なぜ出産、手術が7日早まったのかなと。
 とにかく、子宮がその状態、胎児もその状態です。胎児というのは日に日に大きくなっていきます。そこまで、3000グラム近くにまでなっていれば、今度は逆に母体への影響が大きいと思うんです。
 そういう大きな病院ですから、分刻みで手術のスケジュールが詰まって、手術の日程を変えるのも、通院の、入院していない妊婦であれば大変であろうと思うんですね。
 6月の初旬に彼女が緊急入院をしたというのも、母体に、胎児に影響が小さいように、手術日が前倒しになっても大丈夫なように、病院に入れていただいたんじゃないかと、こんなふうにも感じたところでありました。

 今は産婦人科もとにかく医師不足で、施設も足りないものですから、出産をするとすぐ元気な人は退院をさせられます。一週間で彼女も退院しましたので、間もなく行ってきました。産後すぐのときでしたから、私も申し訳なく思いながらも、おさづけの取り次ぎに参りました。
 すると、元気に玄関で出迎えてくれました。彼女が。その姿に、私は非常に違和感を覚えました。
 考えてみればその3ヶ月4ヶ月、彼女はずっと寝たきりのようなものでした。動けるようになっても極力歩かない動かない、動いてもゆっくりゆっくり動くというのを徹底していた、その彼女が出産を終えて、お腹の赤ちゃんが無事だった。一気に元気になりまして。こんなに軽やかに動ける人だったなあと思い出しました。
 産後と言うのは大変なものなんだと聞いてます。私は経験がないのでわかりませんが、動くのが大変で、一ヶ月は布団で赤ちゃんと過ごすようなことを聞いていましたが、彼女は元気に動き回っていました。
 考えてみたら、その4ヶ月というのは、彼女が動きたくて動きたくて仕方なかった4ヶ月だったんですね。お腹の赤ちゃんのために必死に動かなかった。その通り方、もたれて通ったその姿が、無事に母子ともにおたすけいただいたその原動力だったんじゃないかと思いました。
 母乳の出も良くて、訪問の保健士さんも驚くほどに産後のひだちもよかった。これはもうをびや許しのおかげです。ありがたいなあと思いました。

【神様との密かな約束】
 その後なにかとお邪魔をしておさづけの取次ぎに行かせてもらっているんですが、その子が、今月3歳になります。先日お邪魔しておさづけ取り次いでいましたら、私の隣に座って、小さい手で一生懸命にお母さんのお腹をなでるんです。私と一緒に。その姿を見て、本当にいい子が授かったなあと思いました。

 そんなきっかけで、私はお酒をやめさせてもらって、今日まで飲まずに、健康に通らせてもらっています。
 実はまだ、彼女にも言ってないんですが、最初に病院でおさづけを取り次がせてもらうときに、実は、親神様に、教祖に、「この子を立派なよふぼくに育て上げますのでなんとか助けてください」とお願いをしてしまったんですが、いつ彼女に言おうかと思ってるんですが、先日一緒におさづけを取り次いでくれた、その3歳の姿を見て、大丈夫だろうなと思いましたので、今度打ち明けたいと思いました。
 
 そんなことがありました。
 6月、これから大変暑くなりますので、ともどもに体調を気をつけながら、7月の終わりにはこどもおぢばがえりもありますので、ぜひ大人も子供も一緒に楽しいおぢばがえりをさせてもらいたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。

178年3月 神殿講話(たすかるということ)

 ただいま、当教会の3月の月次祭のおつとめを、ともどもにけっこうにつとめさせて頂き誠にありがとうございました。

 ここのところ風が強くて、今日もおつとめをしながら風が強いなあと風のご守護を感じておりました。かしこねのみこと様、方角で言うと南東の方角になるんでしょう、風のご守護をありがたく感じます。

 よく「火水風」と言いますが、私は実は、火、水に比べて風ってインパクト弱いなって思っていまして。

 火と水というのはわかりやすいです。太陽と海の水、飲み水ないと人間生きていられないですが、風というのは太陽と水とに比べるとちょっとこう、3本柱としてリストアップされるにはなんとなくインパクトに欠けると昔思っていたんですけど、あるときに、「風というのはびゅーびゅーと吹く風のことだけではなくて、空気のことであるなあ」と思いまして、地球上人間が、生き物が生きていく上で、おひさまと水と空気と、これが一瞬たりとも欠けてしまうと生きていけない。

 そのご守護、風のご守護というものを改めて感じたおつとめでもありました。

3月11日を思う。神様は怒ったりしない。

 祭文にも奏上しましたが、連日痛ましい事件が起きますもので、親神様にもそのお願いをしました。また我々の日頃の心の持ち方というか、お話をしたいと思うところですが、それよりもやはり今日という日は、四年前、3月11日の、東日本大震災、まさに明日ですが、それから四年という月日が経ちますので、それに触れないわけにもいかないかと思いまして、私の思うところですが話をいたします。

  地震津波地震による津波の被害などで、二万人に近い方が犠牲になったり行方不明だったりします。非常に大きな自然災害です。想像がつかないです。我々も遠くですが大きな地震を経験しまして、教会も瓦が落ちたりしまして、ガソリンがないとか計画停電とか、不便な思いをしましたが、それをもってしても全く想像ができないです。被災地のことというのは。

 その中でも、以前にも少しお話をしたかと思いますが阪神大震災ですとかオイルショックですとか、そういう近代の大きな災害の教訓で助かった命もあるわけです。

 津波てんでんこ、というのですか、揺れたらとにかく高台に逃げろという言い伝えで助かった命もあるようです。

 その中から活かされる教訓というものを我々は次の世代にしっかりと残していかないといけないんじゃないかというのが一つ思うことです。

 あの直後によく言われたことなんですが、天理教に限らずですが、神の怒りだ、と、よく目に耳にしました。人間がいつまで経っても我が身勝手に自分勝手に、殺し合ったり傷つけ合ったりそういう生活を改めないので、いよいよこれは世紀末だ、みたいなことが叫ばれて、教内でもそういうことが言われたことがよくありました。

 私はですね、今になって思えばそうなんだろ、と言われてしまえばそうなのかもしれませんが、私は、やはりその、教祖のお話を聞かせていただくうえで、神様はやっぱり怒ったりしないんじゃないかと、こう思います。

 人間が聞き分けがないから、いつまでもあしき心を使うから、えいやと言って海の水をあふれさせて、罰を与えるとか見せしめにするとか、そういうことは神様はなさらないんじゃないかなと思っています。

 なぜかと言えば、シンプルな理由でして、神様は人間の親だからです。子供がかわいいその一心でご守護くださるわけですから、そういったことをなさるはずがないと思います。

 しかしながら、おふでさきには、ざねんりいぷくとあるではないかと言われてしまうんですが、おふでさきというのは喩え話が多いです。例えば、にほん、と、から、ということを言われます。

 当時ですから、一般の人が読めば、にほん、と、から、と言えば日本という国と、中国や外国という読み方ができます。しかし、おふでさきの注釈を見ますとそれは、にほんというのはお道の中、既に信仰のある方のことを指し、からというのはまだお道を知らない、これからお道の人間が外に外にむかって布教をしていく相手のことを、から、と喩えてお説きくださってある、とあります。

 すなわち、喩えて話をしてくださることが教祖は非常に多かったんです。おそばの方々、大和の農民が布教の対象でしたから、わかりやすく話すためにそのようにお話くださったのであろうと思います。

 であれば、ざねん、りいふくというようなことも、例えば人間の親が我が子にきつく叱るようにするかもしれない。しかしながらそこは神様ですから、人間の親が我が子の聞き分けがないところを見て、カッとなってつい手を上げてしまうようなことはなさらないです。それは教祖が50年かけてお見せくださったひながたの道中を見れば明らかであります。

 すなわち、神様は怒ったりしない、ということを、私は改めてこの3月11日を迎えて、思いを新たにしたいところと思います。

 神様は、あのような時にあってさえ、最後まで可愛いわが子を救いたいとお働きをくださったのではないかと、このように思っています。

 

ご守護にはいんねん抜きには語れない

 

 とはいえ、多くの方がお亡くなりになり、何十万人という方が被災して不便な暮らしをしていることも事実でありますので、今日はもう一つ、おたすけについて、特に助かるということはどういうことかということをお話します。

 おたすけの話を聞かせてもらうと、よく奇跡のご守護やあざやかご守護というようなことが例に挙げられます。これは、助けて欲しいと思う我々の願い、それがその通りになる、ならんということの結果だと思います。

 それはいんねんというものを抜きに語れないのですが、いんねんがあって今があって、それを変えたいという思いです。それが助けて欲しいという願いだと思います。

 いんねんがあって今がある以上それを切るには、通り切らないとなりません。断ち切らないといけないわけです。断ち切るためには通り切らないといけません。多くの場合にそれは今世において切れるというより、来生にかけてまたその次の人生にかけて切ってくださいます。出直しという切って下さるひとつの機会があるわけです。そういう願いをしていくわけです。

 これは、このお道において教祖が死後の世界についてお話をしていないことと非常に関係をしています。天国と地獄ということについて全くお話になっていないわけです。

 ちょっと難しい話になってきていますが、本来長い時間をかけて魂のいんねんを切って下さるわけですが、我々が、治してください助けてくださいというのは、それを今世において、三日後、一年後、十年以内に、というような願いをしているわけです。

 

奇跡のご守護とは生きながらにして生まれ変わる姿

 

 神様は願い通りではなく心通りに守護するとおっしゃっています。たとえば、医者が助からんと言ったものを助けられたこれは、奇跡のご守護です。それは、生まれ変わる姿です。

 本来は今世を一旦終えて、神様に迎えとりいただいてそこでいんねんを断ち切って新たに次の一生がはじまるという、生まれ変わる姿です。通常そうだと思います。

 ですがいわゆる奇跡のご守護というのは、それが生きながらにして起こるということですから、それは神様にしかできないことです。それをお願いする、ということです。

 じゃあどうすれば生きながらにして生まれ変われるのかということです。これも重々神様からお説きくだされてあります。

 それは、よふぼくとして神様の御用をつとめさせていただきますという心が定まった時に、神様が、ある場合においては今世を迎えとりくださいますし、神様がいますぐに必要だと思し召されれば、まるで生まれ変わったかのようなご守護がお見せいただけるわけです。

 教祖の逸話編などを読みますと、そういう話が非常に多いです。助からん者が助かった、場合によっては息を引き取った者が吹き返した。そういう方々がその後どうなったかと言えば、お屋敷で、教祖のお膝元で御用をなさったり、各地でにをいがけをして多くの人を助けたり、教祖のよふぼくとしてのお働きをされたわけです。

 

奇跡に報いるために熱心になったのではないのではないか

 

 そういったお話に触れて私はかつて、助からんものを助けてもらったからその人たちがお助けに邁進したのかなあ、と思っていました。ありえない奇跡を目の当たりにした時に人間はものすごい力を得るのだなと思っていたのですが、実はそうではないのかもしれないと、最近思うようになりました。

 それは、教祖からご覧になって、この人の心が今切り替わったなあ、神様の手足となってお助けに進んでくれるなあと真実を見定めていただいたからこそ、奇跡と言われるようなご守護を、教祖がくださったのではないのかなあと、このように今更ながらに思ったところです。

 これを、いわゆる「誠の心」と教祖がおっしゃる、教祖が大好きな心です。誠の心です。

 人様のためになにかをさせてもらいたい、困っている人に助かってもらいたいというその心、これが「心定め」です。

 なにか目標を立ててそれを必ず遂行するということでもあるのですが、その目標がどこに向かって立てられているか。おぢばです。おぢばには神様がいらして教祖がいらっしゃる。その教祖が人助けてくだされやとおっしゃった。そこに心が向くかどうかです。

 完全に一致するのはできないとしても、大元の考え方として教祖に心が向いているかどうか。ということが神様にお受け取りいただく、ご守護くださるための第一歩ではないかと思います。

 しかしながら我々が考えていかなければならないのは、奇跡のご守護を願うには、第一に、日日に結構にご守護いただいて不自由なく通らせていただいている、すなわち十分におたすけいただいていることを心に収めることだと思います。

 それが、おたすけ、助かるご守護だと思っているところです。

 

犯罪報道に触れて、思うこと

 

 もうひとつ別のお話をします。

 昨日兵庫県で5人の方が亡くなるという事件がありました。その前には中学一年生が、神奈川県で殺害された事件がありました。その前には海外で、テロリストに日本人が殺害されるという事件もありました。痛ましい事件が多いと感じます。

 それにあたって、自分たちは無関係であると思ってはいけないなと私は考えています。

 たとえば、ある事件では若い、未成年が容疑者として逮捕されました。それに対してまず、親はなにやってんだ、というような声が挙がります。親のしつけがなってないから子供がああなるんだというような、親を責める声が挙がることが多いと思います。大きな声になると思います。

 しかし、それを思うに、それ以前に、そういった少年であるのであれば、第一に被害にあっているのはそのご家族なんではないかと思うのです。家庭内暴力といいましょうか。

 もう、家族の方でもどうにもならんような少年であれば、そういった犯罪を犯してしまうこともあるかと思います。また、犯罪があって裁判の報道に触れると、精神鑑定によって無罪になるケースもあります。そのことも、無関係であると、遠目から眺めていてはいけないと思います。

 病気になりたくてなる人はいないんです。明日、自分が、家族がなんらかの病気になって右も左もわからなくなって、そういった、例えば犯罪であったりすることを起こしてしまう、ということも、私には関係ない、ありえないということは、誰にも言えないわけです。

 もし、あれが私だったら、家族だったらと思ったときに、どれだけ現実の生活の中でそれが辛いことであるのか、大変なことであるのか、ということにも思いを寄せて、決して根からの悪者であるから犯罪であるとか、悪いことをしたから厳罰に処すべきだと、一方的に断じてしまうのは、おたすけのうえからは物足りない考えではないかと、そのようなことも思っております。

 

 今日は、おたすけということ、たすかるということについてお話をいたしました。少し余分なこともお話しました。

 本日はけっこうにおつとめをつとめさせていただきました。誠にありがとうございました。

178年2月 神殿講話(おぢばというところとおぢばかえり)

 ただいまは二月の月次祭のおつとめを共々に結構につとめさせていただきましてありがとうございます。
 神殿講話をつとめさせていただきます。

 一昨日、2月の8日の日曜日、おつとめ練習をさせていただきました。総勢16名で、子供を中心におつとめ、鳴り物練習をさせていただきました。少年会は春に総会を控えているので頑張ってくれていますが、どうぞ大人の方もご参加いただきたいと思います。
 1月の26日がご本部の春の大祭です。当教会では4月につとめますが、1月26日、おぢばがえりをしてまいりました。
 続く2月5日が大教会の神殿奉仕の当番にあたっていましたので大教会に行ってまいりました。
 間に教区の少年会の行事があって、お世話どりのひのきしんをさせていただいてました。

 そんな一ヶ月だったんですが、ありがたいことに今年に入って二度、大教会長様の講話を聞く機会を与えていただきました。
 一度目は上級の大祭に巡教くださいました。二度目はおぢばの詰所で年頭のご挨拶をくださったものを、同じお話を繰り返し聞かせていただきました。
 特に大教会長様が仰るのに、手段と目的というのがあるのでそれをしっかり捉えて歩んでもらいたいと、特に年祭の最後の一年ですので、なんのために年祭をやるのか、そのためには何をしなければいけないのかということをよく考えて一年頑張って通らせてもらいましょう、という話を聞かせてもらいました。

 教祖の年祭を一年後に控えたこの旬に、年祭って一体何だっていうことを改めて我々は考えないといけないのかと思います。
 年祭というのは何のためにやるのかということはそれは、教祖にお喜びいただくわけです。十年に一度というこのタイミングを仕切って、その時にみんなで教祖にお喜びいただく。教祖の年祭なわけですから、現身をお隠しになったその日を祈念して、十年に一度、仕切って教祖にお喜びいただこうというのが、年祭の目的であります。
 教祖がお喜びくださることはなんだろう、と考えた時に、それは、おたすけだ。陽気ぐらしの世の中を実現したい、世界いちれつ助けたいと五十年のひながたをお見せくださった教祖がお喜びになるのは、これは、助けあう姿。陽気ぐらしの世の中であります。
 しかし現状、陽気ぐらしにはまだまだほど遠いニュースが毎日テレビから流れてくるわけでありますから、先んじてお道の話、教祖のお話を聞かせてもらった我々は、特におさづけの理を頂戴したよふぼくは、率先しておたすけに励んでもらいたい。それがいわゆる年祭活動だと思うんですね。
 じゃあそれを、がんばりましょう、と言われた時に、何をしますか? という時に、まあ本題に入りますと、祭文にも奏上しましたが、4月に教会でおぢばがえりをしましょうということで決定いたしました。

 上級の会長さんと相談させてもらいまして、マイクロバスをレンタルしまして、一同でおぢばがえりをしましょう、ということを決めました。
 これは、大教会長様が、4月18、19日誕生祭、25、26日月次祭が土日ですので、別席団参をやってもらいたいとおっしゃいまして、その旬におぢばがえりをさせてもらいましょうと考えたものです。
 来年の1月26日を百三十年祭ということで勤められるわけなんですが、春の大祭ですが、ある意味でこれはイベントであります。そのイベントに向かって3年間頑張って通る、その中の一つとしておぢばがえりをさせてもらおうということです。
 先ほど言いましたように、教祖がお喜びくださるのは陽気ぐらしの世の中に近づかせてもらう、建て替えていくには、おたすけ、助けあう姿が大事だということと、もうひとつは、おぢばがえりだよね、ということですね。

 前にも少しお話いたしましたが、このお道の信仰というのは、神様にお礼を言うことから始まるわけですよね。なになにしてくださいというお願いより先に、生かされていること、一瞬の隙もなく、この身体、身の内や、世の中の自然全てにおいてご守護くださる、そのご守護に感謝をお礼を申し上げるところから始まるわけであります。
 それが、ひのきしんと言われたり、みなさんが熱心に参拝する姿であったりするわけです。親に喜んでもらうわけですね。
 感謝の気持ちを親に伝えたいわけです。親神様に伝えたいわけです。親が喜んでくれることをしてあげたくなるわけです。それがひのきしんだというわけなんですが、それを突き詰めて行った時に、親が一番してもらって一番嬉しいのはどんなことですか、ということです。
 親として子供にどんなことをされたら嬉しいですか、一番嬉しいのはどんなことかな、と言った時に、たとえば。
 田舎から就職して上京した子供が、初任給をもらったよと言ってお小遣いを送ってくれたら、嬉しいですね。
 またボーナス出たよと言って、なにかプレゼントを送ってくれたら、嬉しいですね。わざわざ休みの日にどこかに出かけてこんなのが好きだったな、似合うだろうなと選んでくれて送ってくれた。嬉しいでしょうねえ。
 または休みがとれたと言って、旅費を使って里帰りをしてきてくれた。何年かして家族が増えた子供ができたと言って帰ってきてくれる。嬉しいですね。

 どれが一番嬉しいですか、って言われたら、多くの親御さんはおそらく、会いに来てくれることが一番嬉しいよ、楽しいよと言ってくれるんだと思います。
 教祖もきっと同じだと思うんです。
 我々には国々所々で与えられた、持ち場、役目があります。それを日日しっかりとつとめさせてもらうのも、もちろん教祖お喜びくださることなんですが、その中においても、教祖に会いに、教祖ご存命でおぢばにいらっしゃるわけですから、その教祖にお目にかかりに行く。忙しい大変な中も、教祖に会いに行く。
 それが一番、親が喜んでくれることなんですから、おぢばがえりをさせてもらうということはそういうことなんです。一番のひのきしんなんです。

 ではおぢばというのはどういう所なのかな、ということをもう一回考えてみますと、おぢばというのは聖地です。神聖なる場所です。人類の発祥の地、ふるさとです。
 聖地ですから我々信仰者にとっては無条件にありがたい場所なんです。それぞれの教団、宗教、教えごとに聖地はあります。聖地と言われる場所は信仰者にとっては誰がなんと言おうがありがたい場所なんです。
 我々お道の信仰者にとってはおぢばというのは、理屈じゃなくとにかくありがたい場所です。これはなぜかと言えば、教祖が神様がそれを教えてくださったからに他ならないわけです。
 
 おぢばがえりというと真っ先に思い浮かぶのが夏のこどもおぢばがえりなんですが、あれも大したものでして、うちの下の子は小学校一年生なんですが、ずっと楽しみにしていて、みんなでおぢばがえりして帰ってくると、帰ってきたその日、次の日から、ああ早く来年のこどもおぢばがえり行きたいなと楽しみにするんですね。
 これはすごいことだと思うんです。おぢばがえりが楽しみだと。まあ、こどもおぢばがえりは楽しいですから。みんなで出かけてみんなで泊まってみんなで遊んでみんなで勉強して。楽しいですよね。
 じゃあなんでそんなに楽しいのか、というか、そんなに楽しい物を用意してるのかなっていうことです。なんでそこまでして子どもたちをおぢばに、我々も連れて行くし、おぢばも招くのかなと。
 楽しいところは他にたくさんあるんです。あんな遠い所行かなくてもいくらでもあるんです。なんでおぢばがえりなのかな、ということになると、それはこどもおぢばがえりが始められた当時を思いますと、二代真柱様が、子供たちもおぢばに帰らせてあげたい。子供にもおぢばでひのきしんをさせてあげたい。ということで、夏休みの期間特別に設けて、子供たちもひのきしんができるようにおぢばで迎えてくださった。そういう環境を整えてくださった。
 それが段々行事が増え、受け入れ態勢も整って、おつとめの練習とか回廊ひのきしんとかお楽しみ行事とかも増えて今のような形になっているわけです。


 大人の信仰者であれば、おぢばありがたいと思うのは当然のことです。真柱様が、教祖に一番近い方だと私は思ってますが、その方が、子供もおぢばに帰らせてあげたい、と思う場所なんです。
 信仰を知ってる知らない関わらず、おぢばに帰ってくるそれだけで意味があることだから、とにかく子供をおぢばに帰らせてあげよう、おぢばに来やすい態勢を全教あげて整えてあげようというのが、これがこどもおぢばがえりでありまして、それが50年以上続いているわけです。
 
 おぢばというのはそういうところなんです。
 なんにも知らない子供でもおぢばに行く、帰るだけでとにかくありがたい場所なんです。

 天理教じゃない、ある教団の方が、天理教こどもおぢばがえりっていいよね、と仰ったそうです。子供のうちから本部に集めて楽しいことたくさんやって、神様のこと教えて、将来的に立派な信仰者に育ってくれる、つまりは立派な大人になるカリキュラムを作ってるわけだから、いいよね、ということで真似をしたことがあったそうです。
 ですがやっぱりできなかったそうです。本部でのイベントをやって子供たちを集める、それはできる。でも続かないです。と。それはなぜかと言えば、我々にはおぢばがないんですとこう仰ったそうです。
 イベントだったらどこでもできるんですが、こどもおぢばがえりというのは、子供を集めて何かを教えるイベントじゃあないんです。子供たちをおぢばに帰らせる、それだけなんです。唯一の目的というのは。
 
 おぢばというのはそういう意味がある所なんです。

 そういうようなことを考えながらしばらくおったんですが、先日みちのともに、本部員先生のお話が載っていまして、その中に三代真柱様、昨年お出直しになりましたが、三代真柱様についておお話をしてくださっていました。
 おぢばに高校がいくつあるか、ご存じですか? おぢばにはお道の高校が、2つあります。天理高校天理教校学園と2つあります。天理高校2部も含めると3つの高校があります。
 あの中に、ご本部の周辺だけで3つの高校があるこれは多すぎると思うところもありますが、それについて三代真柱様が、教校学園の校長先生にこのように仰ったそうです。

「中学までは親の元で育ててもらうのが一番大切や。卒業したら高校生は、わしは、できるだけ多くの者を、このおぢばで、教祖のお膝元で育てたいのや。ぢばの理をたっぷり戴いてもらいたいと思てる。これは理屈抜きや!」

 このように仰ったそうです。中学校までは親元で育てるのが一番大切だ。高校生になったらおぢばで一人でも多くの若者を育てたい。それはなぜか。
 おぢばだからですね。おぢばで生活をする学ぶということは、ぢばの理を戴く。教祖のお膝元で生活をするということですね、それはなぜかといえば、これは理屈抜きや、と三代真柱様がこのように仰ったそうです。
 おぢばというのはどういうところですか、と聞かれれば、おぢばというのはそういうところなんです。

 おぢばというのはありがたい所です。おぢばに行けば教祖にお会いできる。南無天理王命の親神様が鎮座されていて、そのご守護、理をたっぷりいただいて帰ってくることができる、これがおぢばという場所です。

 そのおぢばに、ご一緒に、是非、帰らせていただきたいないうのが今度の4月の団参の思いでありまして、今日はそのお話をさせていただきました。ありがとうございました。

保育園児に向けたおはなし(12月)

上級教会が保育園を経営していて(宗教法人としてではないですが)毎月祭典前に保育園児が参拝に来ますが、その席でお話したことを記録しておきます。 

 

  みなさんおはようございます。今日は神様のお祭りの日です。みんながこうやって元気にお参拝に来てくれて、神様も、会長さんも、私も、とても嬉しく思っています。

 さて。今日は12月の16日ですが。あと10回位寝ると、誰かやってくる、かな?

 

 そう。サンタさん。みんなのおうちには来る?

 手紙書いた? お手紙書いた人?

 ありがとう。サンタさんは、みんながお願いして、欲しかったものをくれたり、見たこともないような、素敵なものをプレゼントしてくれたりするよね。

 それね、なんでかなー? っておじさんは考えてみました。

 サンタさんは、プレゼントしたもので、みんなが楽しく、元気に、おうちの人やお友達と仲良く遊んでくれるのがとっても好きなんじゃないかな、と思いました。

 サンタさんのプレゼントで、みんな仲良く、楽しく遊んでください。

 それともう一つ、サンタさんのプレゼント、とっても嬉しいよね。だから、それを大切に、大事にしてください。できたら、来年のサンタさんが来るまで、大切にとっておいてください。

 

 ひとつ、仲良く、元気に遊んでください。

 もうひとつ、ものを大切にしてください。

 お約束できますか? はいありがとう。じゃあ、おじさんからのおはなしは終わりです。聞いてくれてどうもありがとう。

路傍講演 2014

 全教一斉にをいがけデーで、教会長路傍講演の日というのがあるらしく、新人教会長として初めて参加しました。

 路傍講演など初めてのことでした。原稿も持たずにでかけたので、覚書として記しておきます。

 

データ:平成26年9月28日夕方。市内3ヶ所にて

 

【親孝行について】

  ご通行中の皆様こんにちは。ひとつお話をさせていただきます。

 私共は、天理教を信仰する者であります。みなさまにとって信仰とはどのようなものでありましょうか。

 信仰とは、ある一面において、物事の良い、悪いをはっきりと教えてあげるものだと思います。

 このことは良いことだよ、また悪いことだよ、と明確にしていくその根本には神様や仏様などの尊い教え、すなわち信仰があるものと考えます。

 私達の神様は、そのお話の中で、親を大切にすることがとても大事だと教えてくれています。親孝行をしなさいよ、と、私達の信仰ではよく言われます。

 それでは、親孝行とはどのようなことだろう、と、最近私はよく考えます。

 昨日も市内の色々なところで運動会が行われ、元気な子どもたちの姿を多く見ることが出来ました。

 私は、親に孝行するということは、ひとつ、子供をきちんと育てていくことではないか、と思いました。

 親と子が仲良く、楽しく暮らしていく姿は、その親から見ればとてもほほえましく、喜ばしい姿だと思います。

 親が最も喜んでくれる姿は、子供と孫が仲良く助けあって暮らしていることではないか、と思うのです。

 とはいえ、日常の生活の中で、子育てに関することを含め、色々な悩みや困難に突き当たることもありますから、そんな時にはどうぞ、お近くの天理教会をお尋ねください。

 いつでも、どなたでも、お気軽にご参拝いただけますので、皆様のお越しをお待ちしております。

ありがとうございました。

 

【かしものかりもの】

 皆様こんばんは。私たちのこのカラダについてのお話をさせていただきます。

 私達のこの身体は、とても便利なものとは思いませんか。

 右手上がれと思えば右手が上がり、左足進めと思えが左足が動き、あれを見ようと思えば見ることができ、これを言おうと思えば話すことができます。

 自分の身体ですから、思い通りに動くことは当然とお思いかもしれません。

 しかし、それは本当のことでしょうか。

 自分の身体であるから思い通りに動くのであれば、心臓の動きを止めることができますでしょうか。また、頭が痛い時、お腹が痛いときに、痛みよ治まれ、なくなれ、と念じて痛みがなくなるでしょうか。

 そうではありません。それはなぜでしょうか。

 私達の信仰では、それは、この身体は神様からお貸しいただいているものだからだ、と教えてもらいます。

 この、身体を、神様がつくり、人間に貸し与えてくださっていますから、我々は神様の世界に住まわせていただいているのです。

 この、のぼりにも「感謝慎み助け合い」と書いてありますが、これこそが、私達の生活の基本的な心構えです。

 神様によって生かされている我々は、まず第一に、ありがとうという感謝の心をもたなければなりません。どうぞみなさま、

「感謝、慎み、助け合い」の心でにちにちをお通りくださいますようお願い申し上げます。

 このようなわかりやすい神様のお話がたくさんあふれていますので、どうぞお気軽にお近くの天理教会にいらしてください。お待ちしております。

 ありがとうございました。

 

【幸せとはなにか】

 皆様こんばんは。

 皆様。人間が生きる目的とは、何でしょう。人間が作られたのは、なぜでしょう。

 その問いに、お答えになれますでしょうか。

 私達天理教の信仰者は、それに答えることができます。

 この地球がまだ泥の海であった太古の昔、神様がそれを見てあじけなく思し召しました。「つまらないなあ」と思ったそうです。

 そして、「そうだ、人間というものをこしらえて、その者達が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しもう」と思し召し、人間を作ったそうです。

 つまり人間とは、陽気ぐらしをするために作られ、人間が生きる目的とは、陽気ぐらしをするため、です。

 では、陽気ぐらしとは、どのようなものでしょう。

 陽気ぐらしとは、互いに助けあって暮らし、心を澄ます生き方である、とお聞かせいただきます。自分だけが陽気な世界ではありません。お互いに助けあう心で生きる世界、それが陽気ぐらしであります。

 そのために、神様は常に、この世界の万物の上に、また私達の身体の中にお働きくださっています。

 それだけではなく、食べるもの、着るもの、住むところも、これは皆神様からのお与えであります。ですから私達天理教の信仰者は、毎日まず第一に神様へのお礼を申し上げます。

 なぜ私は幸せになれないのだろう。また、幸せにしてくれる人と出会いたい、という方によく出会います。

 私は、その方々に申し上げることがひとつあります。

 誰も、あなたのことを幸せにはしてくれませんよ。なぜなら、あなたはもうすでに、十分に幸せだからですよ。

 どうぞこの続きは、お近くの天理教会にてご相談いただきたいと存じます。

 ありがとうございました。

 

 

 

177年6月 神殿講話 (奇跡のご守護と神様の望まれるもの)

 ただいま皆様と6月の月次祭のおつとめをつとめさせていただけました。誠にありがとうございました。
 神殿講話をつとめさせていただきますので、お楽な姿勢とお楽な心でおつきいただきたいと思います。

<ご連絡、ご報告>

 先月5月は、大教会の仕切り丹精を大教会長様からお打ち出しいただきまして、当教会でも皆様にお願いを申し上げ、おかげさまで大教会を通しておぢばへと、皆様のご真実を運ばせていただくことができました。
 5月16日に上級にお供えをしてまいりました。
 また10月にも大教会長様から仕切丹精のお打ち出しをいただくことと思いますのでその時にはどうぞよろしくお願い申し上げます。

 5月26日のおぢば月次祭の翌日に、新任教会長の集いというのがおぢばでありました。年に2回あるのですが、その半年の間に新しく会長になった人がおぢばに呼ばれまして、二日間お話を聞いたり練り合いをしたりします。
 また二日目のお昼は、真柱様からご招宴ということで、本部の食堂で皆で食事をいただくという、そういうものがありまして、行ってまいりました。
 帰ってきますと、すぐに、6月の1日には、皆様と、上級教会の合同おつとめ総会にださせていただくことができました。
 良い天気で、35度くらいある日曜日でしたけれども、当日の会長様のお話では272名の参加者があるということでしたが、当教会からは20名、子供からご年配の方まで行っていただけまして、小さな子供もおつとめ衣をつけておつとめをつとめていただけました。
 誠にありがとうございました。
 続いて大教会の当番が当たっておりまして、5日に神殿奉仕をつとめてまいりました。
 
 この後ですが、6月の29日にはいよいよ、よふぼくの集いが支部で行われます。午前中に終わりますので、どうぞ皆様そろってお出かけいただきたいと思います。


<よふぼくの役割とは>

 そういうわけで、今日のお話ですが。
 新任教会長の集いに行ってきましたが、そこには参加者が全員、教会長なわけです。教会長とその配偶者です。
 朝から70分くらいの講話を2つ聞いて、午後は練り合いをしました。会長と、配偶者と、少人数で別れて練り合いをします。
 皆なりたての会長ですから、会長になってから嬉しかったことはなんですか、とか会長の役目とは何でしょう、といったテーマで話し合いをしました。
 私の中でちょっと不思議に思ったことがありまして、他の会長さん方がお話になる中に、教会においておつとめをするという話がでなかったんですね。
 にをいがけやおたすけということは熱心にお話くださるんですが、教会でおつとめをつとめる、月次祭のおつとめを皆さんでつとめるんだよ、という話が私の番になるまで出なかったものですから、とにかく月次祭のおつとめを皆でつとめさせてもらうのが、私は大事だし、嬉しい事なんですという話をしてきました。
 考えてみると、山名だから、というのがあるんじゃないかな、と思いました。山名の教会というのは以前からとにかくおつとめ、おつとめ、おつとめ、と声を大にして言ってくれています。大教会長様が先頭に立って、おぢばだ、おつとめだ、と。
 これは大教会の初代会長様に話を戻しても、遠州の地でかぐらつとめをつとめたいんだと教祖様にお願いして、遠州でかぐらつとめをつとめさせてもらったという歴史もあります。
 だからこそ、とにかくおつとめだと言ってくれてるんだと思います。そのおかげで我々はまず第一におつとめに思いがいくわけです。
 そうではないところも、にをいがけやおたすけだと熱心にお話はくださるわけですが、私はなににおいても、よふぼくのつとめ、特に教会の上でのよふぼくのつとめとなれば、それは、「おつとめをもっておたすけをすすめることこそ教会の原点であり使命である」とお聞かせいただくように、まずおつとめがでてくるわけです。
 そのためには、みなさんがこの、お許しをいただいた日にお許しをいただいた場所である教会に集まって、おつとめをつとめることが大事だよ、という話をしながら、ああ、山名の大教会長様はそういうことをきちんと教えてくれるんだなありがたいな、と改めておぢばで感じてきました。


<神様の奇跡のご守護>


 また、大教会の当番に行ってきた時ですが、神殿で待機するときにやることがないものですから、御守り所で本を読むんですが、教祖伝逸話篇を読んでました。
 逸話篇を読むと、力比べの話が多いですね。力自慢、身体の大きい男の人に、手を出してごらんと相当な高齢である教祖様が仰って、力比べをして、まったくかなわないといったような話がいくつもでてきます。
 改めて御守り所でこの逸話篇を読んでました。逸話篇てかいつまんで話を聞くことが多いんですがまとめて読んだことはそういえばなかったなと思いまして、非常に面白いものですから、今日はそのお話をしようと思いました。

 神様がこの世お始めになって人間をおつくりになって今もなおずっとご守護くださっている、そこにおいて、お道の、天理教のお話の中でよく出てくる不思議なご守護、奇跡のご守護ってありますね。
 医者がさじを投げた病気がおさづけ取次で治ったとか、おぢばがえりをして動かなかった脚が動いた、見えなかった目が見えるようになったという話は多く聞かせていただいてます。実際あるんです。
 教祖様の時代のこの逸話篇を読んでも、治らないと言われた小さい子供の皮膚病が鮮やかに治った、気の迷い、今で言うところの脳の病気でしょうか、そういうものも薄皮をはぐようによくなっていったという、そういうエピソードは山ほどあります。

 この力比べの話もそうです。人間の考えではありえないことが、教祖様の前にはあるんです。神様ですから、教祖様というのは、あるんです。
 また、教祖様、そこでずっと座っていて退屈でないですか? とお付きの方が尋ねると、懐からお花畑を見せてくださって、なるほど教祖様は世上のことはなんでもご覧になってるんだなあ、というような話もあります。
 超常現象のような話ですが、教祖様ですから、あるんです。今なおそれは、あるんです。
 力比べもその一つだと思うんです。普通に考えたらそんな力は出ないんですよ。でもそれは、出たんです。何人もの人に教祖様はお見せになった。
 明らかな事実として、教祖様は怪力みたいなものはあったし、何十日も断食をして大丈夫だったという、これは歴史的な事実です。当時は生身の人間でしたけれど、できたんです。


<おやさまが教えたかったもの>


 これを思った時に、教祖様というのは、なんでもできるんだと思うんです。教祖様にできるということは、親神天理王命にできないことはないわけです。やろうと思ったらなんでもできる。できるんだけれども、しないんです。
 それはなぜか。例えば、親神天理王命に願う。願う誠の心には神は働くんですね。神様なんとかしてくださいと言ったら、神はやろうと思ったらできるんですが、我々が期待するようなご守護がなかったりしますね。ない方が多いでしょうか。
 それはなぜかな、と思ったんです。できるのにしないのは、なぜかと。

 そこが、私は、このお道の教えなのかな、と思ったんです。
 教祖様がやるんじゃないんだよ。お前がやるんだぞ、という。あなたがやるんだよ、という、その助けるやりかた、それを教えてくれたのが、教祖様なんです。
 願うことを教えてくれたんじゃないんですね、助けるということを教祖様を通して、親神天理王命がお教えくださった。
 人が、人のために願う。そのことを教祖様が教えたんです。誰かが教祖様に、あの人を助けてくださいお願いします、私を助けてくださいお願いしますと言っても、その力はあっても教祖様はそれをなさらなかった。
 できるんだよ、ということを示すために力比べをした。やろうと思ったらできるんだよと。
 もっと言ってしまえば、親神天理王命が、この世の中を陽気ぐらしにしてしまおうと思ったら、私はできると思うんですよ。極端な話ですが。
 でもそれをしない。それはなぜかと言えば、なんのために人間を作ったのかと言えば陽気ぐらしをさせたいためなんですが、陽気ぐらしの世の中というのは、人と人が助けあう世の中だからなんですね。
 その姿が、一番人間が幸せな姿だからなんですね。いくら助かっても喜べない。いっくら病気が治って健康であっても、不足ばっかり言ってたらその人はやっぱり幸せになれない。
 逆を言えば、生まれついての病気や、事故などで思うとおりに身体が動かないような方でも、幸せだなあと言って暮らしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃるわけです。
 だから、教祖様は力比べまた不思議な姿を見せてくれた。ですけどもそこは、この教えの本質ではない。
 なんで不思議なことを見せたか見せるかというのは、それは人助けをしてほしいからなんです。
 あなたを助けるために不思議な守護を見せたんではないんです。あなたに、あなた以外の人を助けてもらいたいからなんです。またはそれを話の台として話の種として、人助けの輪が広がっていくように、最初の歯車を動かしてほしくて、止まっている車を動かすには非常にエネルギーが要りますから、その最初として、そういったものをお見せくださった。


<おたすけの基本的な姿>


 そういう話が逸話篇の中にいっぱい出てくるんだろうなと思います。
 こういうことをしたらこういうご守護があった、けれど、似たようなケースで同じようなことをすれば同じようなご守護があるかと言えば、そうではないんですね。その時々によって、求められているもの与えられているものは違いますので、それを見極めてこういうふうに今神様がお望みなんじゃないんですかね、ということを噛み砕いていくのは、これは我々の役目だと思います。
 だから、おつとめをすれば、御百度まいりをすれば、日参をすれば、奉献神願を毎日書けば、そうすればなるで、という正解はないんです。だから、一人ひとりが一人一人を助けていく道なんです。
 
 今回のよふぼくの集いの話も、表統領先生の話なんかを聞きますと、「教団が」ということや「教勢が」という話をします。
 全体が盛り上がっていかないと盛り上がっていかないというのは確かにわかります。しかし、今の時代、例えばですが天理教以外の勢いのある教団を見ますと、あ、うまいな、と思うんですね。やり方が。
 全体として、今の日本の法律の中で、こういうふうにやれば信者さん会員さんを増やせるとか、そういうことが非常にうまい。
 だけれども、そのやり方は、神様の望んでいるやり方とちょっと違うんです。上手な仕組みをつくって、例えば今だったら印刷物いっぱい作ってとか、若い人でも入ってきやすい形をとって、聞こえのいい話をすれば、それはそれなりに人数は増えるでしょうけれども、その人達が本当の意味で幸せになるには、やっぱり一人が一人を助けていかないといけないんですね。
 だから、教団、教勢は一時期にくらべて衰えはあるかもしれない。しかしそれでも私達は教祖様が教えてくださったそのやり方で、一人が一人の人を助けていく、その道なんです。
 不思議なご守護はないかもしれない。奇跡のご守護はないかもしれない。だけれども、その前提として、もうすでに私達は、神様のご守護を身体いっぱいいただいているんだということがあるんです。
 あなたはお願いをしたけれども助からなかったですね。そうじゃない。すでに助かってますよね。そこからおたすけははじまるんです。
 神様のお話というのは、あなたはすでに助かってますという、そこから始まっていくのが本来なんですね。

 かと言って神様のお話を知らない人にそういうことを言ってもわかりませんので、色々なところからお話を始めさせてもらうのですが、こちら側の思いとしては、すでに神様に十分お守りいただいて、十分必要なものはお与えいただいているね、結構ですね、というところから話が始まっていくのが、この道の神様のお話であります。


<日常の中のおたすけの一例>


 と、私は思ってるんですね。
 そういうことも含めてこのよふぼくの集いに行くと、皆さんおたすけしませんか、となるんです。
 先月の話をした中に、人助けになればいいなあと思って育成会やPTAの役をやらせてもらってますと言いましたが、この土曜日に育成会の指導者の研修会がありまして行ってきたんですが、夜、飲み会があって、おじさん20人ぐらい集まって飲むんです。地域の集まりですから。
 私は酒やめて二年以上経ちますから、非常におもしろくないんですね。酒の席が。
 とっとと寝ようと思っていたんですが、一応昭和地区の看板を背負ってましたから、付き合い悪いと思われるのも嫌なので、8時から11時半までの二時間半、周りはどんどん盛り上がって行く中で、一人でつまんねーなーと思いながらずっとご飯食べてたんですけど、そういうところにいるのもまた、ひとつのお助けになるのかなと。

 地区の、私以外の育成者、行きたくても行けない方々がたくさんいらっしゃるし、そういう方々の、代表ではないですけれども、丸山が行ってくれたからと安心してくれる人もいると思うので、その人の代わりに行ったと思えば、ひとつのおたすけになるだろうと。
 また酒飲まなくてもこういう席に付き合う人はいるんだよ、ということを周りの人にわかってもらいたいという思いもあって。
 こうやって飲み会ガンガンやるから飲めない人が集まらないんだよみたいなことも思ったりもしますので、そういうことは言いませんけれどもお付き合いをしてきました。
 そういう形のものもあると思います。その中で、例えば、呼ばれて出席をする、お祝い事、慶弔様々あると思いますし、地域や学校でのお呼ばれの席に参加するのも、きっかけとして、おたすけにつながるものがあると思います。できることをひとつやる、というのはそういう身近なものであると思います。

 正にこのよふぼくの集いが終わりますと、教祖130年祭の年再活動の大きな活動が一つ区切り、また次のステップへと上がりますので、くどいようですが、今月は改めて、おたすけのきっかけの話をした次第でございます。


<まず、なにをすればよいだろう>


 すみませんあと一言だけ。では、なにをすればいいんだということですが、今言ったように外に出かけて行くこと、自分にできることを人に向けてやらせてもらうこと、これは本当に大事なことです。
 神様の話をしなくてもいい、おさづけ取次がなくてもいい。神様行ってきますとわざわざ言わなくてもいい。何かできることをやっていくことこれはおたすけにつながります。これは先月お話したとおりです。
 で、その先月お話した中に、お守りを持ちましょうという話をしました。これは日日それぞれができることだから、おぢばの証拠守りであるお守りを身に付けましょうというお話をしました。
 もう一つ、基本のことです。大教会に行くと書いて貼ってあります。朝起き、正直、働き。
 少年会で教えます。こどもおぢばがえりで朝のおつとめで真柱様がお話くださいます。朝起き、正直、働き、この3つ。そして、お守りを身に付けて通らせていただく。ここから、おたすけがはじまります。
 もう何十年私は聞いてきたでしょうか。これが、皆さんできているでしょうけれども、これができていることは、おたすけが始まっているんだよ、これがすでにおたすけなんだよ、ということです。
 朝起きる、正直に通る、自分の身の周りのはたらきをする、これがもうすでにおたすけなんです。そういう皆さんに自分たちも助けられている。

 この、3つの種と、お守りを肌身離さず身に付けさせていただくこと、ここからおたすけが始まります。
 そのことを踏まえて是非よふぼくの集いに参加させていただきたいと思います。
 以上でございます。